線路は続くよタンザニア編

タンザニア鉄道の旅 その3


緑の平原を行く


 翌朝、7時に目が覚めた。久しぶりに熟睡できた気分だ。ベロニカ達とルームサービスの朝食を食べていると列車は ドドマに到着した。ダルエスサラームからドドマに首都を移転する計画があったが立ち消えになったままだ。取り立てて高い建物もないのっぺりしたまちだった。

 ドドマを発って再び列車は西へ向かう。大小のバオバブが点在する平原の中を進んでいく。この辺りは最近少し雨に恵まれたようで緑が回復し始めている。朝の冷たい空気がその光景を一層さわやかにしている。午前中はずっとこの緑のサバンナが続く。

 しばらくしてキンティンクという駅に止まった。駅舎以外何もないが、線路沿いには大勢の人が立っている。人を待っているようでもあり、ただ列車を眺めているだけのようでもある。列車に乗る人は稀だ。

よく見るとヤシの葉で編んだ籠やゴザを売り歩く人たちが足早に行き来している。隣の車両の方を見ると、客を見つけたのか車窓に向かってゴザをかかげ、大声で値段交渉している人がいる。停車時間が短いから売り手は必死だ。

値段交渉しているうちにもう列車が動き出した。ゴザ売りは列車について歩き出し、やがて小走りになる。交渉がまとまったのか乗客がゴザを受け取った。

"Chapu chapu!(早く!)"


ござ売りはそう叫んで駆け出しながら手を伸ばした。乗客はあわてる様子もなく窓から手を伸ばして代金を手渡した。息を切らして立ち止まったござ売りの姿を私は安堵の気持ちで見送った。

 正午、サランダという駅に着く。いつも列車がお昼に着くからだろう、線路沿いに食べ物を売る粗末な屋台がずらりと並んでいる。主食であるとうもろこしの粉を練ったウガリや揚げパンのマンダジ、バナナやマンゴーなどの果物、そして串に刺した牛肉や山羊肉の炭火焼などを売っている。簡易屋台を見て歩くのは楽しそうだが、今日も晴天で暑すぎる。牛肉の串焼きとソーダを買って車内に戻る。

 車内ではベロニカが山羊の焼き肉を買って食べていた。お互いの肉を分け合って食べる。山羊肉は臭みがなく牛肉にないうまみがある。

「どうして日本では山羊を食べないの。」

ベロニカが尋ねる。

「たぶん日本の気候が山羊の飼育に適さないからだと思う。」

適当に答える。

しばらくしてベロニカが尋ねる。

「結婚してるの?」
「うん。」
「子供は?」
「いない。」

アフリカで何度このやりとりをしたことだろう。私の答えに対する彼らの反応はお決まりだ。

「えっ、いないの?」 そして、 「すぐに神様が授けてくれるよ。」 という慰めが続く。

もう少ししつこいタイプになると、

「どうして生まないの。33才だなんて子供を生むにはリミットだよ。」

とくる。こちらにもそれなりに事情はあるのだが、彼らの常識を覆すだけの説得力には欠けるようだ。毎度のことで少々うんざりしながらも、分かったふりをして頷いておく。

「私はこの子が生まれてすごく幸せ。」

そう言ってベロニカはウルスラを抱き寄せた。



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