肩水金關漢簡73EJT23:919と73EJT23:917の綴合と試釈
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目黒杏子(京都大学)
73EJT23:919と73EJT23:917とはいずれも、比較的幅広の平板な簡の両面に、二行から三行にわたって文章が記されており、内容は私的な書信である。一見、両簡の筆跡が類似すること、また内容に関連があるとおぼしいことを契機として、両簡それぞれの切断面(919簡(A)の左側と917簡(A)の右側)を比較したところ、両簡を綴合し得ることが判明した【図】。
そして両簡を綴合した73EJT23:919+73EJT23:917には、二種類の、それぞれ内容の異なる書信が書き付けられている。
一つめの書信(以下、書信一とする)は、919簡(A)から917簡(A)へと続き、917簡(B)の一行目で終わる。内容は、常なる人物が子涇という人物に対し、耕作作業を依頼し、具体的な指示を与えているものと思われる。
二つめの書信(以下、書信二とする)は、917簡(B)の二行目から919簡(B)へと続く。こちらは全体的に書信一よりやや墨跡が薄い。あるいは、一つめの書信が不要になった後に、簡牘を再利用して、新たな書信の草稿が書き付けられたのかもしれない。文字の不鮮明な部分が多いことから、内容も判然としないが、敞なる人物が祭酒の夫人に宛てたもののようである。
なお、書信一には、書信二の冒頭の「(差出し氏名)叩頭白」のような書き出しの文言がない。また、書信二は文章が完結していないようである。したがって、919簡(A)の右側にはさらに一行分以上の欠失がある可能性がある。
以下、二つの書信それぞれの試釈を提示する。【校記】に「原釈文」とあるのは、甘粛簡版保護研究中心等編『肩水金關漢簡(貳)』(中西書局、2012年)所載の釈文を指す。
○書信一
【釈文】
子涇業君家室煒子毋恙閒起得毋有它數以田宅泉累子涇業君毋它叩頭
頃※1昆弟家室皆得毋有它常客爲吏道遠不數相聞毋恙叩=頭=常日=欲遣
素親田又未得奉錢毋以自遣因至今願子涇爲土田使人持之即毋持□ (919A)
幸爲耕之舍東麥地盡以種禾舍東□□以種穈黍□西□□□皆不※2
種以※3舍前塊以西盡種

※4□内中小□中有小半毋種願子俓用收萬石種破用
種萬石以渠前種小半詡願子俓及時取茭藁貿耕餘盡賣之願子俓即 (917A)

※5自耕=之……(917B)
【校記】
※1 原釈文は未釈字とする。
※2 原釈文は未釈字とする。
※3 原釈文は「川」とする。919A三行目の「以」と字形がよく似ているため、ここでは「以」に改める。
※4 原釈文は「穬」とする。つくりを「廣」とするには疑問がある。あるいは「稷」の可能性も考えられるが、ここでは「

」としておく。
※5 原釈文は未釈字とする。
【訓読】
子涇業君①、家室煒子②恙が毋きや。閒(この)ごろ起〔居〕③、它有ること毋きを得んや。數しば田宅・泉④を以て子涇業君を累わすも、它毋きや。叩頭。頃、昆弟家室、皆な它有ること毋きを得。常⑤、客して⑥吏と爲り、道遠く、數しばは相い聞かざるも、恙が毋し。叩頭叩頭。常、日日素と親しきを遣(おく)り田せしめんと欲するに、又た未だ奉錢を得ず、以て自ら遣る毋く、因りて今に至る。願わくば子涇、土田を爲(おさ)め、人をして之を持(おさ)めしめよ⑦。即(も)し持く…毋くんば、幸いに爲に之を耕せ。舍の東の麥地、盡く以て禾を種え、舍の東…以て穈黍⑧を種え、…西…皆な…を種えず、舍の前、塊以西を以て、盡く

を種え、…内の中、小…の中、小半有るも、種ゆる毋かれ。願わくば子俓、萬石より收めし種を用い、破り用いて萬石に種え、渠の前を以て小半詡(ばかり)を種えよ⑨。願わくば子俓、時に及びて茭藁を取りて耕⑩に貿(か)え、餘は盡く之を賣れ。願わくば子俓、即し

、自ら耕せ。之を耕せ。……⑪
【注釈】
①書信の受取人。子涇(917簡ではにんべんにつくる)が字、業が姓で、君は敬称。
②「煒子」の意味は不明。あるいは子涇の家族の一人の名前か。
③「閒起」では意味が通じない。書信で安否を尋ねる際の常套句「閒起居」の「居」字が脱落していると考えられる。
④「泉」は「錢」の意であろう。とすれば、当該簡は王莽期に属することになる。
⑤人名。書信の差出人と思われる。
⑥「客す」は、よそに寄寓する、の意。D236Aに「田子淵坐前、頃久不相見、閒致獨勞、久客關外、起居無它、甚善」とあるのが近い用例としてあげられる。
⑦「爲土田」とは、耕作地の管理を含めた全体的な耕作作業を指すと思われる。これに対し、「使人持之」とは、具体的な作業を行わせる、担当させるといった意であろう。
⑧「穈黍」はアワの一種と思われるが、詳細は不明。典籍では最もはやい用例として、『大唐西域記』卷一・阿耆尼國条に、「四面據山道險易守。泉流交帶引水為田、土宜穈黍・宿麥・香棗・蒲萄・梨奈諸菓。氣序和暢風俗質直」(季羨林『大唐西域記校注』中華書局、一九八五年)とあるが、「穈」と「黍」の二種類の穀物ととることも可能である。
⑨「願子俓」より「小半詡」に至るまでは非常に難解であるため、文章全体から内容を推測していきたい。まず文章の構造からみると、文中に三度みえる「願子俓」は、それぞれ要請の内容を区切る意味を持つと考えられる。最初の「願子俓」の内容は耕作作業の指示で、播種する場所や穀物の種類を具体的に説明している。三番目の「願子俓」は、「茭藁」の処置に関する内容である。すると、難解な二番目の「願子俓」は、ひとまずこれらとは異なる内容と考えることができる。
この中で鍵となるのは、二度みえる「萬石」をどう理解するかである。まず、これは具体的な数量ではなく、吉祥語、ないしそれを冠した固有名詞であろう。そして、まだ推測の域を出ないが、ここの「萬石」を地名の一種、具体的には耕作地の名称とみなした場合、文意をある程度合理的に解釈し得る。そのためここではひとまずこれを地名と考えておく。
なお末尾の「詡」について、「許」とほぼ同音であることから「ばかり」の意と考えた。
⑩この「耕」は、耕作労働ないしその対価を指すと考えられる。『後漢書』列伝第三七班超伝に「大丈夫無它志略、猶當效傅介子、張騫立功異域、以取封侯、安能久事筆研閒乎」とあり、李賢注に「華嶠書作久事筆耕乎」とある。「筆耕」とは「筆による肉体労働」を意味することから、ここでの「耕」とは、耕作労働そのもの、及びその対価を意味する、と推測した。
⑪以下、墨跡がわずかに残っているが、判読できない。「

自耕=之」が比較的はっきり見えていることからすると、書信一の文章はここで終わりかもしれない。
【通釈】
子涇業君どの、ご家族はお元気ですか。最近おかわりありませんか。田宅や金錢の問題で子涇どのを煩わせておりますが、何か問題はございませんでしょうか。(私の)兄弟や家族もみなかわりありません。わたくし常はよそに出て官吏となり、距離が遠くなったために、頻繁には連絡が取れませんが、元気でおります。わたくし常はいつも親類縁者をやって耕作させたいと思っておりますが、俸給がまだ私のもとに入っていないために、送るべくもないまま、今に至っております。どうか耕作地を管理して、誰かに作業させてください。作業する人がいないならば…、私のために耕作してくださればありがたく思います。舍の東の麥畑には全てアワを植え、舍の東…には穈黍を植え、…西…には全て…何も植えず、舍の前から塊の西までは全て…を植え、…内の中、小…の中には三分の一(の種?)がありますが、植えないでください。どうか、萬石から収穫した種を使用し、そこから種を拠出して萬石に蒔き、水路の前まで、三分の一(の種)を植えてください。どうか、適当な時にまぐさとワラを持ち出して耕作の対価にして、その余りは全て売ってください。どうか、もし…子涇自ら耕作してください。重ねてお願いします。
○書信二
【釈文】
□當叩頭白
□□祭□卿内人□毋以□之□□□□□※1通牒補空乏之處 (917B)
餔□適數皆□者□□祭酒卿内人厚恩毋它使謹因受※2願幸※3□
如會敞身自犇馳□□※4城迫不及敞具斗酒相見而城願高□ (919B)
【校記】
※1 原釈文は未釈字の字数を不明としているが、ほぼ五字分とみられる。
※2 原釈文は「使」とするが、改める。
※3 原釈文は「業」とするが、改める。
※4 原釈文は「敞」とする。しかし、前にみえる「敞」及び後ろにみえる「敞」と字形がかなり異なるようであるため、ここでは未釈字としておく。
【訓読】
…當①叩頭して白す。…祭…卿内人②、…以て之…する毋く、…牒を通じ、空乏の處に補い、…餔…適、數しば皆な…者、…祭酒卿内人、厚恩なれども、它の使毋し。謹んで因りて受く。願わくば、幸いに…會の如くせんことを。敞身自ら犇馳し③…城(誠)に迫られて及ばず。敞斗酒を具して相い見え、而して城(誠)に願わくば、…
【注釈】
①この「…當」が差出人の名であるとした場合、文中では「敞」が差出人の名と考えられるのと矛盾する。なお、「當に叩頭すべし」といった用例は他にみられない。
②「祭」の下の字は「酒」であろう。後文の「□□祭□卿内人」と同人物を指すと考えられる。官職名に「卿」がつき敬称となる用例として、居延漢簡に比較的よくみられる「尉卿」があげられる。「祭酒卿内人」は、祭酒の奥方を指すと考えられる。また、「祭酒」の前にある二字は、県名などの地名かと考えられるが、判読できない。
③「かけつける」「はせ参じる」の意であろう。居延漢簡495・4Aに、「當奔走至前迫有行塞者未敢去署」とみえる中の「奔走」とほぼ同じ用法と考えられる。
【通釈】
…が申し上げます。…祭(酒)卿の奥様、…する手立てがなく、…牒で申し送って、不足に陥っているところに補給してくださり、…祭酒卿の奥様にはたいへんお世話になりましたが、(お礼の)使いに出すべき者がおりません。恐縮ですが、このままお受け致します。どうか、願わくば、…約束のとおりにしてください。わたくし敞がみずから馳せ参じ(なければならないのですが)…申し訳ないのですが、仕事に追われてそうすることができません。わたくし敞が何か簡単なものを持参してお目にかかって、くれぐれも…お願い致します。…
以上、二つの書信の試釈を提示したが、特に書信一は、当時の居延・肩水地域における官吏の生活を示す史料として興味深い内容をもっている。
この書信が肩水金関遺址より発見されたことから考えると、書信の受取人である子涇は肩水金関ないし関係する官署の官吏であり、近辺に居住していた可能性が高い。差出人である常も官吏で、肩水金関の近辺に耕作地をもっているが、家族ともども遠方に赴任している。おそらく俸給の遅配が原因で、常は耕作者を雇い派遣することができないため、現地にいる子涇に耕作を依頼したのだろう。常の書信の文言からみる限り、常と子涇の間に雇用や上下関係はないようであり、対等な関係において作業を依頼し、収穫物の一部を報酬とする約束があったと読み取ることができる。こうした地域における官吏の農業兼業の実態、留守の間もそれを保守し収益をあげるための、官吏間の横の関係を示す事例といえるだろう。
編集者注記:2015年09月14日入稿