FIELD PLUS No.8
9/36

7Field+ 2012 07 no.8は「賽離」(sai li)、日を意味する語は「揑咿唲」(niɛ i ər)あるいは「揑離」(niɛ li)と音写されている(カッコ内はいずれも当時の中国語の発音)。これらを根拠にして、それぞれsair、nairと契丹人が発音していたことを推定することが可能となる。しかし、これら以外の語については漢字音写が伝わっていないために、同じ方法ではどのように発音されていたかを推定することはできない。しかも、契丹大字の資料は小字と比較して絶対数が少ないために、単に大字資料を分析するだけでは解読できる範囲が限られてしまう。新たなアプローチ 近年進められている契丹大字解読へ向けた新たなアプローチはそれらの問題を克服できる可能性がある。従来は表意文字が主体であると考えられてきた契丹大字であったが、近年の研究によって、実際には多くの表音文字図1 ブレーニィ・オボー碑文の冒頭とその意味。現段階の推定音:au? asar dur ai naim sair mas? nair。図2 耶律習涅墓誌に見られる日付とその意味。「年」を表す文字が省略されている。ブレーニィ・オボー碑文上部写真。モンゴル国立博物館に展示されたブレーニィ・オボー碑文。な作業を通して一番右の行がどのように書かれているのかがわかってきた。日付の文字の同定 図1左端の画像は調査の際に撮影した碑文の冒頭9文字であり、その右側は調査によって再構成した該当部分の文字の推定図である。「」や「」など漢字と似た文字からわかるようにこれは日付を記したものであることがわかる。どうやら「清寧四年(1058年)八月一日」と書かれているようである。すでに研究されている「耶や律りつ習しゅう涅てつ墓誌」にも図2に見られるように「清寧九年辛卯正月二十八日に」との表現を見ることができ、文字の同定の際に参考にできた。しかし文字は判読できたものの、これらの文字がどのように発音されていたかを明らかにするためには、他の言語資料や先行研究を検討しなければならない。契丹大字音価の推定 年・月・日を意味する契丹大字の意味に関しては、先行研究によって比較的早い段階から推定されてきた。しかし、意味が判明しただけでは解読が完了したとは言えない。モンゴル諸語と比較するためには、これらの語の「発音」も明らかにすべきである。これらの語を契丹語の使用者がどのように発音していたかを解明するには、漢字や、契丹小字で記録された資料を参照する必要がある。『遼史』などの漢語の文献中には、契丹語の語彙が漢字による音写の形で記録されている。残念ながら、基礎語彙の漢字音写は少なく、固有名詞のそれが多いために、契丹語の全容解明には量的にも質的にも物足りないものであるが、幸いこの碑文に見られる「月」や「日」などの語の発音は記録されている。それによると、月を意味する語は「賽咿唲」(sai i ər)あるいが含まれていることが明らかになり、大字の研究方針も、意味の推定ではなく音価の推定に重心が置かれるようになった。大字によって記された言語と小字によって記された言語を同一のものであると仮定し、それらを比較することによって、すでに明らかにされている小字の音価を対応する大字へと当てはめることで大字の音価の推定が行われ始めたのである。例えば、年号の「清寧」は契丹小字では   と書かれる。契丹小字の研究は大字よりも進んでいるために、これらの文字の音価はほぼ明らかにされており、au as-arと読むことができる。したがって、それに相当する契丹大字の   も同じ発音を表示していると考え、 をas、 をarと推定することができるわけである。( 、 の発音についてはまだ議論の余地がある。)同様の作業を地道に積み重ねることによって、先の推定図に示した文字列の音価を推定することができた。本碑文では、日付を解読することができるほか、ところどころに音価の判明している文字を確認できる。しかし判読が困難な部分は多く、さらなる解読には時間がかかりそうである。他の契丹大字資料との比較研究を進めることが解読を進めるカギとなるであろう。   解読の将来 モンゴル国でのブレーニィ・オボー契丹大字碑文の発見に続いて、ロシアでは契丹大字が記された冊子本が発見されるなど、契丹文字の資料は着実に増加している。さらに近年は契丹文字の研究者の数も増え、これまでには見ることができなかったようなスピードで研究論文が発表されている。近い将来に契丹文字研究が一層の進展を見せることは想像に難くない。 ( )

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る