FIELD PLUS No.8
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6Field+ 2012 07 no.8他の文物とともに展示されていた。今回調査を行った碑文には契丹大字のみが刻されており、残念ながら漢字や突厥文字が併記された対訳資料ではなかった。そのためこの碑文は、契丹文字研究におけるロゼッタストーン(異なる言語と文字で、近い内容の文章が刻まれ、ヒエログリフの解読に決定的な役割を果たした碑文)とはならなかった。しかし、契丹小字と比べ資料の少ない契丹大字研究においては、大変貴重な資料であると言える。 自然石に加えて磨滅しやすい環境のため文字の判読は容易ではないものの、1文字が3〜4cmで1行当たり30〜40字ほどの文字が7行にわたり刻されているのがわかる。さまざまな方向からペンライトで光を当て、文字が刻まれた溝を指でなぞり、さらには拓本と比較しながら刻まれている文字を推定していく。文字の判読も単にこの資料の観察によってなされるわけではない。これまでに出土した資料と比較することによって前後の文脈を考えながら文字を同定していく必要がある。このよう未解読文字への挑戦 未解読文字の解読は、言語学の研究分野の中で最もロマンにあふれた一つであろう。シャンポリオンによるヒエログリフ(エジプト象形文字)の解明や、ローリンソンによるペルシア楔形文字の解読など、劇的なエピソードは大変面白く興味が尽きない。アジアの未解読文字の一つ、契丹文字は、遼(916-1125年)を建国した民族--中国の史書では「契丹」と呼ばれた--が、自らの言語を記すために作成した文字である。タイプの異なる「契丹大字」と「契丹小字」と呼ばれる2種があり、どちらも使用者が絶え読める人がいなくなったが、まさに現在研究者によって解読が進められている。契丹文字の解読のために研究者たちは、関連する漢文資料との比較、統計を用いた文字音価の推定、6世紀から約2世紀間にわたってモンゴル高原などを支配したトルコ系の遊牧民族突とっ厥けつが用いた突厥文字との比較など、苦心に苦心を重ね、その長年の研究によって着実に解読は進んできた。しかしいまだに、書かれている内容を読み解くのが困難な部分も多い。契丹語はモンゴル諸語と関係していると考えられているものの、現在伝わっている諸言語とは大きく異なっていた可能性がある。理由の一つは、契丹語の語彙の多くが、我々の知るモンゴル諸語のそれと異なることだ。ここではモンゴル国で新たに発見された碑文をもとに契丹大字解読の最前線について紹介したい。ブレーニィ・オボー契丹大字碑文の調査  モンゴル国にて調査中の松川節教授から、同国南部ドルノゴビ県のブレーニィ・オボーで契丹大字が記された新たな碑文が見つかったとの連絡を受けたのは2010年の8月であった。その後碑文の写真や拓本を見る機会はあったが、それらから文字を判読するのは困難であり、是非とも実見調査を行いたいと考えていた。幸いなことに、ウランバートルの国立博物館に移送されたこの契丹大字碑文を、2011年8月に調査する機会に恵まれた。その碑文は博物館の1階に、突厥時代の文物や遼の時代のブレーニィ・オボー碑文拓本。モンゴル草原。この草原のどこかにまだ見ぬ契丹文字資料が存在するのだろうか?契丹大字解読の最前線ブレーニィ・オボー碑文に挑む武内康則たけうち やすのり/日本学術振興会特別研究員(大谷大学)、AA研共同研究員 目の前にあるこの碑文には、およそ千年前に使用された契丹文字という未解読文字が刻まれている。碑文は我々に一体何を伝え残そうとしたのであろうか。

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