4Field+ 2012 07 no.8モンゴル高原で興亡を繰り返した遊牧集団は、口頭伝承を重視してきたが、それでも一部の文リテレート人たちは、自らのことばをさまざまな文字で書き記してきた。遥かな草原に佇む碑文は、モンゴルの人々にとって貴重な「箴しん言げん」である。新たな碑文の情報 「中国との国境近くに漢文碑文があるらしい。」 2010年5月、モンゴル国の首都ウランバートルを訪問した筆者に対し、モンゴル人研究者A. オチル氏は新たな未確認情報を話してくれた。1996年以来、我々は日本・モンゴル共同「ビチェース」(モンゴル語で「碑文」の意)プロジェクトを推進し、ほぼ毎年、モンゴル国で調査を行ない、新たな碑文や文書資料を発見してきた。 今回の「漢文」碑文の当初の情報は、モンゴル国立文化遺産センターが国内の文化遺産の調査・登録を行なう中で、ドルノゴビ県エルデネ郡に6行から成る漢文碑文があるのを新たに登録したというもので、内容や研究の有無については何も情報がなかった。不審に感じられたのは、今までモンゴルで調査を行なってきた内外の研究者がこの資料に全く注目してこなかったことである。もしかすると、ごく最近になってどこからか持って来られたものではないだろうか… 現地はウランバートルから585キロ、中国国境まで70キロの地点ということで、ジープで往復すると3泊4日の日程になる。我々は、過度な期待は持たず、行くだけ行って確認してみよう、それも調査だと、自らに言い聞かせ、2010年8月18日朝9時、ウランバートルをジープとワゴン車計2台で出発したのだった。ドルノゴビへ 国道は、ウランバートルと北京を結ぶ鉄道の線路に沿って南へと伸びているが、舗装されているのはウランバートルから250キロ行ったチョイルまで。あとは中国国境まで未舗装のダートが460キロ続く。初日の目的地は、ドルノゴビ県の中心地サインシャンダで、18時に到着した。 翌8月19日朝、碑文の位置をハンディGPSにセットして出発する。13時、同県エルデネ郡の中心地で昼食をとる。我々が車を降りるなり、現地の青年がよろよろと近づいてきて、あいさつ抜きでいきなり、「ヒャタド・ヨモー?(中国人か?)」と問う。真昼間だが、かなり飲んでいるようで、話が通じる状態ではない。さっと緊張が走る。「ヤポン(日本人だ)」と応えると、なにごともなかったように立ち去った。近年、モンゴルの豊かな地下資源を外国企業が狙っているという認識がモンゴル国民のあいだに広がりつつある。ここ数年、我々が碑文調査のためにモンゴル草原やゴビ地帯(モンゴル国から内モンゴル自治区にかけて広がる高原砂漠地帯)深くに入り込もうとすると、現地の遊牧民たちは強い警戒心を示すようになっている。草原で調査をしていると、現地の自警団を称する若者がバイクでやってきて、「出ていけ」と怒鳴ることもある。そのような時は、モンゴル側研究者が我々の調査目的を懇々と説明してくれて、事なきを得てきた。逆に言うと、今やモンゴル国で外国人が単独で調査を行うことは、命知らずだと言っても過言ではなかろう。 GPSのおかげで迷うことなく、16時45契丹文字はどこにある?契丹大字碑文の新発見松川 節まつかわ たかし / 大谷大学、AA研共同研究員契丹大字碑文の拓本を採っているようす。ブレーニィ・オボーと契丹大字碑文。契丹大字碑文正面。サインシャンダブレーニィ・オボーモンゴル内モンゴル自治区ウランバートル北京
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