31Field+ 2012 07 no.8れたものも出版されるようになった。しかし売り上げの中心は依然として英語版であり、都市在住のミドル・クラス家庭や、海外に住むインド系の人々の間で大きな需要がある。インドの友人たちと話しているときにも、このシリーズを子ども時代に読んだ、自分の子どもたちに読ませた、あるいは親戚の子どものおみやげにした、といった話をしばしば耳にした。アメリカ在住のインド出身の友人宅では、「全巻コレクション」を購入していた。時代の流れに応じて、1冊あたりのページ数を増やしたものや、複数の冊子をあわせてとじたもの、既刊本を集めて「コレクション」としてまとめたものなどが売り出され、アニメーションのDVDもつくられた。今では電子書籍での購入も可能である。『アマル・チトラ・カター』 シリーズの内容と描写 シリーズの漫画本を実際にめくってみよう。コマ割りをはじめ、アメリカ漫画のスタイルの影響は明らかである。表紙だけでなく他のページもすべてカラーなので、見た目に鮮やかだが、当初からこうであったわけではなく、3色刷りの時代もあったようだ。人物の描き方にはインドの絵画・彫刻伝統を参照したと思われる部分もある。実はインド社会では、すでに植民地時代から、神々や神話の場面を描いたポスター、カレンダー、広告などの印刷物が広く出回るようになっていた。漫画の描写には、このように、人々が印刷物を通じて以前から慣れ親しんでいた神々のイメージも影響を及ぼしている。 『アマル・チトラ・カター』は、娯楽としてばかりでなく、教育的効果をも自負しているだけに、脚本の作成にあたっては文献を中心とした調査が行われ、衣装や建築についても時代考証がなされている。「正しさ」を追求しつつも、漫画としてのおもしろさや読者の嗜好にも配慮しなければならないことから、制作チームはどの作品の場合でも試行錯誤を繰り返すようである。 神話や歴史のなかからどの人物やできごとを選び、それをいかなる解釈のもとに描くのかは、このシリーズがミドル・クラスのなかで広範に読まれているだけに、重要な意味をもつ。そのうえ、テレビ、映画その他で神話ものや歴史ものの作品が制作される際にも、この漫画はしばしば参考にされている。こうした影響力の大きさを背景に、作品の内容や描写を批判的に分析した研究書・研究論文も複数出されている。それらのなかには、南インド・ケーララ州のバラモンの家に生まれたパイの経歴や思想にも言及しながら、このシリーズが、ヒンドゥー教徒を中心としたインド国家像を主張する動き、いわゆる「ヒンドゥー・ナショナリズム」との親近性をもつことを指摘するものもある。 こうした批判を退けるかのように、編者パイをはじめとする制作チームは、この漫画のねらいが子どもたちにインドの文化的多様性を示し、国民統合を促すものであることを繰り返し強調している。タイトル数のうえではヒンドゥー教にかかわるものが圧倒的に多いとはいえ、作品のなかにはイスラーム、キリスト教、ジャイナ教、スィク教、ゾロアスター教など、さまざまな宗教に関する題材を取り上げたものもあり、各地方の英雄に着目するなど地域的多様性にも配慮している。しかしながら具体的な内容を検討すると、たとえば中世の歴史に関する諸作品のなかでは、ヒンドゥー教徒の英雄がムスリムの支配者と戦うという構図がしばしばみられ、愛国心が強く名誉を重んじる前者(女性も含め)と、残虐で欲深い後者とが、対比的に描かれている。もちろんムスリム支配者のなかには、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルのように、諸宗教に理解のある名君として描かれている例もないわけではないが、このようなムスリム像はシリーズのなかでは例外的である。このほかに知識人の一部からは、ジェンダーやカーストの観点からの批判的見解も出されている。 近年のインドでは、全国に店舗をもつ大手の本屋やオンライン書店が急成長しており、出版業界は活況を呈している。英語出版物ばかりでなく、ヒンディー語その他のインドの諸言語による出版物も売り上げを大きく伸ばしており、経済成長に伴う購買層・読者層の拡大を感じさせる。こうしたなかで、漫画やグラフィック・ノベルもさらに成長し、多様化しつつあるとの印象を受ける。インドの出版業界やこれを取り囲む環境の変化、そこでの漫画というジャンルの可能性など、これからの推移に興味はつきない。作品ができあがるまでには複数の制作スタッフが関与し、その過程でさまざまな議論が交わされる。インド各地に総計83店舗をもつ大手の本屋。店内には書籍のほかに、DVDやおもちゃ、文房具などもおかれている。友人宅に並べられたヒンドゥー教の神々の絵。撮影時はこれらの前で、友人とその家族が祭祀を行っていた。
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