FIELD PLUS No.8
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30Field+ 2012 07 no.8インドの人気漫画 昨年2月、インドの漫画界に大きな足跡を残したアナント・パイが81歳で死去した。新聞各紙は、神話・歴史漫画シリーズの『アマル・チトラ・カター(「永遠の絵物語」の意)』や、子ども向け漫画雑誌『ティンクル』の創設者として知られる「パイおじさん」の死を悼んだ。『アマル・チトラ・カター』には学生時代からなじみがあったし、教職についてからは大学の授業でこのシリーズを利用したり、これに関する研究書を読んだこともあったから、パイ死去の報道を読みながら、なんとはなしに時の流れを感じていた。 私が『アマル・チトラ・カター』を買いはじめたのは1990年代後半で、関心のあるテーマのものだけを選んでいたつもりが、いつのまにか100冊以上もたまっていた。ただしこのシリーズの総タイトル数は400以上に及んでいるから、相対的にはたいした数ではない。パイが1967年にこのシリーズを始めたきっかけは、デリーの本屋のなかでたまたま見たテレビのクイズ番組であったという。そこに出場していた名門カレッジの学生たちは、ギリシアの神々についての問いには答えられたにもかかわらず、ヒンドゥー教の神であるラーマの母親の名前(カウサリヤー)を答えられなかった。これをみて、子どもたちが自らの文化から遠ざかっているのではないかとの危惧を抱いたパイは、ボンベイ(現ムンバイー)の新聞社でアメリカ漫画『ファントム』を取り入れた漫画シリーズの刊行に携わった経験をもとに、英語で教育を受けるミドル・クラスの子どもたちを対象とした「インドもの」シリーズの刊行を思い立つ。彼はこの企画にのってくれる出版社を見つけ、制作にあたる人材をさがし出し、インドの神話を題材とした1冊32ページの薄手の漫画本を刊行しはじめる。ちなみに当初の価格は1冊1.25ルピーであったそうだが、私がField+MANGA漫画からみる現代インド井坂理穂 いさか りほ / 東京大学大学院買いはじめたころにはすでに20~25ルピー程度で、最近見たところでは50ルピー(約70円)になっていた。 『アマル・チトラ・カター』が始まったのは、国内の漫画産業がおよそ未発達で、漫画といえばアメリカ作品が中心であった時代であり、このようにインドでつくられ、インドの神話を題材としたシリーズの刊行は画期的であった。のちには神話ものに加えて、歴史もの、伝記もの、民話などのタイトルも加わっていく。これらの漫画本は、子どもたちにインドの文化伝統を学ばせようとする両親たちの支持を背景に売り上げを伸ばし、1970年代末までには国内市場においてアメリカ漫画を凌駕するほどの人気を獲得した。教材としても大いに宣伝されたことから、教育機関が購入することも多かったようだ。パイが他界したとき、このシリーズがそれまでに販売した冊数の総計は、1億以上にのぼるとも報じられていた。 『アマル・チトラ・カター』は英語で教育を受ける社会層を対象に企画されていたが、のちにはヒンディー語その他のインドの諸言語に翻訳さインドで長年にわたって人気を誇ってきた漫画シリーズ、『アマル・チトラ・カター』。シリーズのこれまでの歴史と、内容や描写の特徴を紹介する。神話を題材とした作品の例。個性的な神々が登場し、ドラマチックな物語が展開される。歴史を題材とした作品の例。いろいろな時代の英雄・偉人たちの物語が子どもたちをひきつける。ヒンドゥー教以外の宗教にかかわる作品の例。『アマル・チトラ・カター』シリーズのなかには、国内外の宗教施設によって購入されているものもある。

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