29Field+ 2012 07 no.8を間違えるのを心配して夜も眠れなくなり、1人外に出て暗記したりしていましたが、次の日収録する時には緊張のあまりセリフを忘れてしまっていました(笑)。 ――「静かなるマニ石」というタイトルには不思議な印象を持ちましたが、どういう意図があるのでしょう?【ペマ】「静かなるマニ石」とつけた主な理由は、チベットの現状がマニ石と似ていると考えるからです。マニ石はチベットの伝統文化の継承方法の1つだと思います。マニ石にはチベットの大蔵経の経文など長い歴史を持つ伝統文化が刻まれています。今のチベットの現代生活というのはどういうものかというとマニ石と同様に外から見ると大きな変化が見られませんが、現実には刻一刻と変化していますので、それを象徴するように「静かなるマニ石」とつけました。――そうすると、伝統文化と近代化の狭間で生きるチベットの人々をリアルに描いた映画、ということになるでしょうか?【ペマ】そうですね。映画のロケ地選定はそれを意識しました。舞台の1つはチベットの伝統文化を色濃く反映しているところとしてお寺を選び、ある少年僧のお寺での生活を通してチベットの伝統文化の一部を表現しました。一方、そのお坊さんの故郷である農村は近代化の影響を大きく受けているところとしてロケ地に選び、この両方を組み合わせることで今チベット文化に起こっていることを表現しました。――映画の途中にマニ石を彫っているおじいさんが出てきますが、このおじいさんはマニ石を彫ってあげるという約束をしながら結局亡くなってしまいますよね? ここに何か意味を込めていらっしゃいますか?【ペマ】おじいさんがマニ石を彫ると約束したのに、最後の文字を彫り終えることなく亡くなってしまうというシーンは、チベットの伝統文化の継承の現状に対する私自身の危機感を表しています。――静かに、しかし人々の胸に深く刻まれるような活動をしていらっしゃると感じました。どうもありがとうございました。最後にプロデューサーのサンジェさんにもお話を伺います。監督とは大学の同級生ということですが、どのような経緯で会社を設立されたのでしょうか。【サンジェ】私たちの会社は最初から準備して設立したわけではないのです。私が西寧にいる時、北京にいたペマ監督から電話があり、「静かなるマニ石」という長編映画を制作する予定のあることや、投資をしてくれる会社もあるという話を聞き、共に喜びました。しかしその後、脚本を書き終えた後に、投資してくれる会社の要求に合わせて内容を一部変更しなければならないという状況になっていると聞きました。監督は内容を変更するぐらいなら制作したくないという考えでしたので、何度も話し合い、自分たちで経費の半分ほどを集めて制作しようと考えたのです。そうすれば脚本を直さなくて済みますから。ただ、会社にしたほうがいいと考えて、共同で会社を設立することにしました。「静かなるマニ石」を制作するために設立した会社ですが、これをきっかけにチベットのありのままの姿を映像化する映画制作を始めたというわけです。――会社はどのくらいの規模ですか?【サンジェ】私と監督のほかは、撮影や美術監督を担当しているソンタルジャ、音楽を主に担当しているドゥッカルツェランです。映画を作るとなったら、さまざまな人に声をかけ、その映画のために大勢人を集めますが、基本的にはこの4人で運営しています。――今は映画だけでなく、さまざまな文化事業を推進されていると聞きました。どんな事業か紹介していただけますか?【サンジェ】チベットの研究者たちの協力をあおぎながら、映像制作以外の文化事業をおこなっています。その1つが、ツォンカパ(チベット仏教に大きな影響を与えた14-15世紀の人)の生涯を描いた1,200mもの長さの仏画を制作する事業です。史上最も長大な仏画となるでしょう。大勢の仏画絵師がこの仏画の制作に参加しています。ツォンカパの記念仏塔を建立し、その中に納めることになっています。チベットの文化事業を守り、発展させるための活動に尽力していきたいと思っています。――今日はお2人をお招きし、チベットの映画制作をはじめ、チベット文化の記録・保存の活動の現場に関する貴重なお話を伺うことができました。どうもありがとうございました。■実施協力:北京ヒマラヤ映像文化有限公司、東京フィルメックス国際映画祭、AA研言語ダイナミクス科学研究プロジェクト(略称LingDy)、日本チベット文学研究会■ 編集協力:ガンジェ、梓沢直代、海老原志穂上:映画「ティメークンデンを探して」を撮影中のソンタルジャ。中:「ティメークンデンを探して」の主演女優(宣伝用スチール写真より)。撮影中のスタッフ。右端がペマ監督、中央は撮影担当のソンタルジャ、左端は主演のマンラキャプ、上は音楽・音声担当のドゥッカルツェラン。
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