ベイルート 同年5月、ベイルート出張の際にNGO研究組織 UMAM Documentation & Research が主催する展示を見学した。この組織は、内戦の記憶・記録を収集し、社会に向けて公開することを使命としている。多くの国には公文書館や図書館があり、その社会の情報蓄積と公開の機能を担っている。しかしレバノンのように内戦を経験した国では、政府組織自体が崩壊し「公共」が失われるために、それが再建されるまでの間、民間の誰かがその役割を果たさねばならない。この目的を共有するレバノン人研究者とドイツ人映像作家の夫婦が、ベイルート南方の郊外地区ダーヒエに構える昔からの大邸宅を研究所にして八面六臂の活躍をしている。ウェブ上で情報公開し、展示施設を使って上記テーマに即した展示やパフォーマンスなど、毎月何らかの催しを行っている。 その時筆者が訪れたのは、「ダーヒエ地区を拾い集める(Collecting Dahiyeh) 」という展示で、といったことが、次々に書き込まれていた。別の壁には、前年にイスラエル軍による猛爆を受けた後、更地がまだら状に生じた、傷ついた地区の航空写真が貼ってあった。これらの情報を統合する術はないものか――これが「多層ベースマップシステム」に向けた一番大きな後押しだった。 他に2009年7月にAA研で開催された科研費「フィールドワークの理論と手法に関する総合調査」(研究代表者・真島一郎)の「フィールドネット研究会」で、野口靖さん(東京工芸大学)が新宿西口再開発地区の経年変化をデジタル地図の重ね合わせで鮮やかに描き出されたのは刺激的だったし、同年出版の水島司・柴山守(編)『地域研究のためのGIS』(古今書院)もたいへん参考になった。 プロジェクト そして2010年度から開始した「中東都市社会」プロジェクトにおいて、共同研究員の松原康介さん(筑波大学)が、このアイデアを具体化し、洗練するのにこの上ない役割を果たしてくれて、ベイルート、アレッポ、テヘラン、イスタンブルの4都市に関する「多層ベースマップシステム」が出来上がった。(株)国際航業・国際文化財の高い技術力は、私たちの数多い注文を次々と具現化してみせた。ベイルートとアレッポの古地図画像は、すべてフランス近東研究所の提供による。今後は情報蓄積に努めると共に、古地図の重ね合わせを他の都市・地域にも拡げるべきだろう。システムの詳しい説明は次ページの松原さんの記事に譲るが、こうして20年以上前にシリアで抱いた法廷記録の空間情報化の夢が、少なくとも技術的には実現可能になった。古地図に則しつつ過去の空間情報を Google Maps 上に蓄積していくこと――これは私たちが新たに創り出す記録と記憶の重層にほかならない。その重層を往還しながら、新しい化学反応がいくつも生まれることを期待したい。研究所が位置する地域の記憶を集める、というものだった。レバノン内戦は1975年から始まり、この地区も例外なく戦闘現場となったのだが、内戦の前と後で、街の様子がすっかり変わってしまった。キリスト教徒も含めて様々な宗派の人々が混住した裕福な田園都市型の郊外地から、シーア派一色の庶民的なアパートの密集地へと変貌し、そこにヒズブッラー(レバノンの軍事部門をもつシーア派政治組織)が本部を置くまでになった。2006年夏の戦争では、イスラエル軍機による集中的な爆撃を受け、倒壊した近隣建物の飛散瓦礫の直撃により研究所も大きな被害を受けた。展示では1975年以前の街を思い出そうと、当時の地図、商店街や家族の写真、ポスター、雑誌や新聞の記事、古老のインタビューの録音など様々なものが集められた。印象的だったのは、パネルいっぱいに貼られた白い紙に大まかな地区の道筋が描かれていて、来場者に街の記憶を書き込んでもらう「生成途上地図(Map in Progress)」というコーナーであった。 「この角にあったお店のお菓子が美味しかった」23Field+ 2012 07 no.8「生成途上地図」の展示への書き込み。写真の貼り付けもあり。展示「生成途上地図」。2006年のイスラエルによる爆撃直後のダーヒエ地区周辺の様子。
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