「多層ベースマップシステム(Multi-layered Basemap System)」は、筆者が過去20年ほどの間に受けた数々の導きの結果、その化学反応として生まれたと言えるかもしれない。ダマスクス 中東都市史の研究を志した筆者は、1989年末から2年間、シリアの首都ダマスクスに滞在して、歴史文書館にてオスマン期の台帳資料を繰くる機会を得た。北シリア主要都市アレッポの19世紀のイスラーム法廷記録を調べ始めたのだが、手書きアラビア語文書の解読の難しさもさることながら、その量の多さに圧倒された。連日数件の記録があり、全体の8割ほどが住宅の売買契約記録で、所在地や住宅規模、価格や売り手買い手の情報がそろっている。社会史研究にとって実に貴重なのだが、手書きでノートに取るだけではどうにもならない。まだパソコンが今日のような機能を備えていなかった頃である。この膨大な情報を地図上に正確にプロットできれば、と考えてみたが、しょせん夢のような話だった。結局、不動産売買記録の調査は1年で挫折、別のテーマに切り替えた。ベイルート 現在AA研の海外拠点「中東研究日本センター」があるレバノンの首都ベイルート。筆者がこの街を最初に訪れたのは1994年で、15年間に及んだ内戦が終結してから4年が経過していた。まだ市内は内戦の傷跡が生々しく、建物の壁は弾痕や迫撃砲による風穴だらけだった。国会議事堂周辺の都市中心部は無人の廃墟と化していたが、その一角で考古学の発掘が行われていた。修復するよりも更地にした方が早い建物は次々にダイナマイトで吹っ飛ばされたのだが、その下から遺構が顔を出したのである。尋ねてみると、ビザンツ時代の層の発掘が済んで、今はローマ帝国初期の層を掘っている、とのことだった。数年後の新聞記事で、この調査は旧石器時代まで掘り下げたことを知った。世界中見渡してもこんな「歴史の重層」はいくつもない。自分は表面を撫でるだけだが、その下には膨大な人々の記録と記憶が堆積していると実感した。古地図 それから数年して、筆者は中東地域の古地図に興味を持つようになった。中東諸国でも地名が簡単に変更されることがある。19世紀の文書資料に出てくる田舎町一つの場所を特定するのにも、しばしば困難を覚えた。そこでヨーロッパの図書館や資料館、古書店を訪れては古地図をひっくり返すようになり、気がつくと古地図の魅力にとりつかれていた。16世紀以来オランダやフランスなどヨーロッパ諸国で作られた地図や19世紀になってオスマン帝国政府が作成した地図を眺めていると、当時の既知情報の継承・引き写しと新たな知見の追加が混在しているのが見えてくる。それはまさに「地域認識」の発展の姿であった。 東京 そして5年前に2度にわたり「多層ベースマップ」に直接結び付く示唆を得た。 2007年2月、AA研で同僚の床呂郁哉さんが組織する「フィールドサイエンス・コロキアム」の第2回会議で、石松久幸さん(カリフォルニア大学)による、古地図デジタル化の可能性の講演を聴いた。江戸時代の都市図のデジタル画像を自在に補正し変形させてGoogle Mapsの該当する都市地図に重ね合わせる様子を目の当たりにし、歴史や建築の研究にとってそれがいかに有用かを実感した。討議の時間に同僚の真島一郎さんが「Google Maps に合わせることにより古地図がもっている空間情報の質が変化してしまうのではないか」と質問した。これは筆者の心の中にいつまでも残ることになった。22Field+ 2012 07 no.8内戦後ベイルートでの発掘。イスタンブルの1819年古地図と衛星写真との比較画面。フロンティア 中東都市研究の新展開! 多層ベースマップシステム記憶の堆積、地図の重ね合わせ、情報の蓄積──システムの誕生まで黒木英充 くろき ひでみつ / AA研「多層ベースマップシステム」は、Google Mapsに古地図を重ね合わせ、情報を書き込み、研究者間で共有し、社会に向けて公開するツールです。AA研共同利用・共同研究課題「中東都市社会における人間移動と多民族・多宗派の共存」の研究成果の一つですが、その誕生までの経緯をご紹介します。
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