21Field+ 2012 07 no.8間の中に――自らを位置づけてきた歴史に気づき始めた。書物に刻まれた過去の声は、今日当然のように語られる「西アフリカ」や「サハラ以南アフリカ」といった地域区分もしくは地域間の垣根を易々と越えていく。その声に耳を傾けながら「西アフリカ」の書物を繙ひもとくことで、「西アフリカ」にとどまらない、より広大な空間を見通すことが可能になる。 ただ、こうした書物の渉猟が私の現地調査の全てというわけではない。現地の人々との出会いに支えられた調査過程が、そして彼らとの語らいが、研究の貴重な糧となる。資料の中に登場する土地を彼らとともに旅しながら、その資料に記された内容を話し合い、更に、文字資料には記されていない様々な伝承を彼らから聞く(写真6)。 著作に記された過去の人々の声と、調査の過程で聞こえてくる現在の人々の声。慌ただしい現地調査の最中に、これら2つの声が重なり合って響くことはあまりない。しかし、調査を終えて、独り資料を読み返していると、時折、それらがすっと重なり合って聞こえることがある。そして、その声が私を次の調査へと誘いざなうのである。思い立った時から、書物という「宝」探しの旅が私の現地調査の大部分を占めるようになった。「宝物庫」の扉 西アフリカには、数多くの図書館が点在している。私は、それらを訪れるため、すし詰め状態の乗合バスや乗合タクシーに乗り(写真4)、人々と他愛もない話をしながら、あちらの町、こちらの町へと長距離移動を繰り返す。一口に図書館といっても、その様相は極めて多様で、国立図書館や研究機関の附属図書館のような所謂「公」の図書館もあれば、スーフィー教団が所有する図書館や、宗教知識人の一族が運営する図書館のような「私」の図書館もある(写真5)。一概にはいえないものの、蔵書閲覧のために必要な手続きが見えにくい「私」の図書館における調査の方が「起伏」に富んでおり、予期せぬ事態――現地調査の醍醐味ともいえる――に遭遇するのは、大体この「私」の図書館での調査中である。 目指す町に着いたら、まずは図書館を探す。所在地が分からなければ人に尋ねるしかない。通りがかりの一人に聞けば、その辺りにいた人々が知らぬ間に集まってきて、あっちだ、いやこっちだ、まずは誰某に会いに行け、どこそこに行け、と知っている限りのことを教えてくれる。こうして人から人へと伝わって方々を巡っていると、大抵、いつの間にか目的の図書館に辿りついている。 図書館で私が探し求める「宝」は、無論、それを所有する宗教知識人の一族や教団にとっての「宝」でもある。否、より正確にいえば、知識人たる彼らにとっての本当の宝は、知識そのものであろう。従って、その宝が詰まった書物はさしずめ「宝箱」、図書館は「宝物庫」とでもいえようか。宝物庫の主が、ふらりとやってきた素性の分からぬ旅人を庫内に通すはずがない。そこで、旅人である私は、まずはその主、つまり図書館の責任者を探し、彼の許を訪れる。そして、自分が何者で、何故その図書館の書物を渉猟したいのかをできる限り丁寧に伝える。図書館の責任者となるような人物は、ほぼ例外なく、優れた宗教知識人であり、多くの場合、流暢なアラビア語で、その図書館の歴史から、イスラームの教義や思想、西アフリカのイスラーム史、果ては今日の世界情勢まで、様々な話を聞かせてくれる。そうした話の中には、往々にして、私がそれまで耳にしたことのなかった貴重な情報が散りばめられている。それらを拾い集めながら会話を積み重ねていく中で、私の目的や意図、願いが彼らに伝われば、宝物庫の扉は自然と開かれるのである。 勿論、常に私の望み通りの結果が得られるわけではない。つまり、種々の理由によって扉が開かれなかったこともあるし、開かれるのを1ヶ月間待ち続けたこともある。しかし、知識に対する、そして知識を刻みつけた書物に対する、彼らの並々ならぬ情熱や敬意を考えれば、図書館の扉が開かれるという事態はまさに僥ぎよう倖こうであって、決して調査の当然の成り行きなどではない。知識と書物に対する彼らの情熱ゆえに、扉は重いのである。過去と現在の声を聞く 調査を始めた当初、私は、「西アフリカ」のアラビア語著作群の読解によって、「西アフリカ」の宗教的・知的世界を描写しようと考えていた。しかし、調査が進展するにつれ、そうした著作群を著した多くのムスリムが、師弟関係や書簡のやりとり、書物を媒介とした知識の授受などを通じて、北アフリカや西アジアをも包含する広大な空間の中に――そして、イスラーム発祥以来の長大な時写真6 ムスリムは、礼拝前に水を使って身を浄めるが(ウドゥー)、水を得られない状況では、砂や石などを使った浄め(タヤンムム)を行う。調査で訪れたとある家の床に置かれていたタヤンムム用の石を使ってその様子を再現してもらい、同時にその石にまつわる逸話を聞かせてもらった。写真5 モーリタニアのシンキート(シンゲッティ)という町の図書館。サハラ沙漠交易の中継地の一つとして知られるこの町は歴史的な学問都市でもあり、旧市街には10以上の図書館が存在する。写真4 セットプラスと呼ばれる乗合タクシーの内部。セネガルにおける重要な長距離移動手段の一つ。
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