FIELD PLUS No.8
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17Field+ 2012 07 no.8アリュートルの玩具の遊び方聞き書きメモ。穴のあいた玩具を放り投げて手に持った棒で受け、棒がささった穴の位置で点数が決まる。点数の分だけ体のポイントをすごろくのように進む。それぞれのポイントはトナカイ遊牧にちなんだ名がつけられている。右の玩具の遊び方を説明するM.プリッチナさん(2003年、オッソラ)。当時はビデオカメラを持っていなかったので、記録に残せたのは音声と写真のみ。食用にする貝。海岸で採集した貝殻のスケッチと、その名称のメモ。貝を上下逆に描いてしまったとは後で知る。も撮影するが、画像と名称をともに記録するのにはスケッチが有効な手段だった。たとえば、トナカイの毛皮を使った製品の各部の名称のように、ロシア語に対応する語彙がない場合は、ひとつひとつ文字で説明するよりも、図に描いたほうがずっとわかりやすい。橇や伝統的な建築物は、20世紀初頭に出版された民族誌にかなり精巧な図が載っているので、それらをもとに名称の調査もしたが、民族誌の図よりも細かなパーツの名称や、組み立てる順序、組み立てる際の注意事項などの情報を整理するにはやはり自分でも図を描いたほうが便利だ。調査の実際 これまでスケッチしたのは植物、貝類、地形、トナカイの角と部位別の肉の名称、トナカイの耳の切り込み、伝統的な橇や建築物(住居および食料貯蔵庫)、衣類やブーツの各パーツなどである。このうち実際に現物を見ながら描いたものは植物や貝類、衣類やかごなどだ。 動物や魚や鳥の名称を調べるのは比較的簡単なので、これらはほとんど描いていない。実物を入手したり写真をとったりするのは困難だが、日本に帰ってから生息域を手がかりに図鑑で探すことができるし、また地元の人たちもよくロシア語の名称を知っている。おおまかな特徴とロシア語の民間名称さえ記録しておけば、後から学名を調べるのは難しくない。 これに対し植物は動物や魚に比べるとずっと種類が多いので難しい。時期さえ選べば標本を入手するのも写真をとるのも簡単だが、この地域の植物すべてを網羅した図鑑はないので本から探すことはできない。したがって、ベリー(漿果)などのロシア人にもよく利用されるいくつかの種を除けばロシア語名もわからないことが多い。そういうものはとりあえずアリュートル語の名称を記録し、写真をとっておけば、後で学名を特定する手がかりになる。また、自分の写真の技術が信用できないので、現地で実物を見ながらスケッチをし、名称も書いておく。 これまで調査に協力してくれた人たちは、言語の構造にとどまらず、自分が持っている知識すべてを伝えよう・記録させようという熱意をもって、これらの文化的な知識を積極的に私に授けてくれた。スケッチを1枚描くのにはもちろん時間がかかるのだが、2週間から3週間を過ごす長いキャンプ生活で、スケッチはよい気分転換になった。また書きとった名称を後から確認するときにも、スケッチは便利だった。貴重な記録 こうして現地で描いた数々のスケッチや写真は、もちろん文法研究の成果にはならないが、それ自体が現地の人々にとって貴重な財産である。しかもこうした情報はこれまで出版されたことがない。もちろん現在そこで暮らしている、ある一定の年齢以上の世代の大部分の人は知っているが、ソ連時代をどのように暮らしてきたのかによって知識量には個人差がある。とくに学齢期以降を親元から離れてソ連の寄宿学校で過ごした1960年代以降に生まれた世代となると、細かな植物名や、それらの利用法については知らない人のほうが多い。文化人類学の専門家から見れば、私のとった記録など穴だらけの不完全なものだろうが、なにしろこれまで詳しい記録が残されていないのだから、たとえ不完全な記録でもないよりはましと考えることにしている。 そして、文化的な知識は言語学にとっても重要である。たとえば民話の中では、現代では使われなくなった伝統的住居での生活の様子が語られることがしばしばあるが、こうした住居の構造に関する知識なしにテキストの内容を理解することはできない。しかし20世紀初頭に書かれた英語あるいはロシア語の民族誌には、建造物の構造については書かれていても、アリュートル語による各部の名称には触れられていない。民話を語ってくれたおばあさんが亡くなれば、意味を確かめることもできなくなる。 ここ数年のあいだに、これまでお世話になったアリュートル人のおばあさん数人が相次いで亡くなった。私がとった記録は、あのおばあさんたちが持っていた膨大な知識の中のほんの一部分にすぎない。なるべく多くの記録を残すよう自分なりに努力はしたつもりだが、その知識が永久に失われたかと思うと、もっとこうすればよかったああすればよかったと後悔ばかりである。 素性のわからぬ外国人相手に、くる日もくる日も長時間にわたり根気強く調査につきあってくれたのも、キャンプ地で目にとまるものすべてを指差して名称や利用法を教えてくれたのも、子どもや孫が受け継いでいない自分たちの言語を記録に残したいという強い意志があったからだろう。民話を録音しようとして、「どうしてもこの話がしたいから」といって、まったく違うテーマを相手から指定されることもあった。おばあさんたちが伝えたいと願ったこの貴重な知識を次世代に引きつぎ、多くの人が利用できるように整理をすすめている。

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