王爺廟調査記録抜粋



24. 徹漢伍王府


24-1. 廟の外観
廟の外観 96.12/31 
地点:石獅市蚶江鎮蚶江村打鉄巷

24-2.
創廟年代:林祖炳(1995)によれば、道光十八年(1837年)。この辺りは恵安出身の鉄工業者が多く、王爺ももとは恵安出身の人が家の中で祭っていた。
このため、この辺りの通りは「打鉄巷」と呼ばれていた。よって、この廟の名も、本来は「鉄漢伍王府」であったのだろうが、「鉄漢」では、見た目が悪いので、南語で音が似ている「徹漢」としたのではないか、と言われている。

24-3.
主祀神明(生日):紀、楊、殷、答、李府王爺。

24-4.
配祀神明及び同祀神明:五府夫人、土地公、謝必安、范無救、班頭、王船。


24-5. 王船
王船 96.12/31 
祭祀圏:不明。村や保(村の下のレベルの地域区分)の当境仏(地縁的な守護神)ではない。

24-6.
王爺の起源:不明。瘟疫が流行ったときには、瘟神を拝んで出ていってくれるように頼むが、これで効き目がないときには、王爺を担ぎ出して瘟神を追い払ってもらう。

24-7.
送王船儀礼:毎年5月5日に木造船を流す(現在も)。紙の神像または。神の名を書いた紙をのせる。瘟疫や邪悪なものを追い払うため。

24-8.
巡境(有無及び範囲):不明。


24-9. 廟の脇の入江
廟の脇の入江(かつては台湾鹿港航路の出発点だった) 96.12/31 
分霊:鹿港奉天宮。廟の入り口前に建てられた「重建碑」及び石獅市民間文学集成編委会(1991)、によれば、清代に蚶江と鹿港の間に盛んの通商が行われていた頃、鹿港の商船が霧で帰路を見失ったところ、蚶江の金再興号にのる答と称する人が道案内をしてくれて無事帰ることができた。
後になって、鹿港の人々がお礼の品を持って蚶江を訪れ、金再興号と答を探したところ見つからなかった。
しかし、徹漢伍王府の船が金再興号であり、王爺の中に答府王爺がいることを知った。そこで、「香火」をもらい受けて鹿港で奉祀することになった。
台湾では、鹿港から彰化、淡水、員林、基隆などに分霊している。

24-10.
管理組織:不明。




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