王爺廟調査記録抜粋



15. 鎮海宮


15-1. 王船
王船 96'1/7 
地点:晋江市深滬鎮華峰村

15-2.
創廟年代:清順治2(1644)年、海上を漂流していた一艘の船が、沙崗寮(もとは、泉州府十七八都に属する)の浜辺に着き、中から真ん中に主神、左右に配神が見つかった。
これらは、12人の王爺神で、船の両側に「粛静」「廻避」の大牌、涼傘、彩旗、刀槍、剣、戟等がみつかった。
神座の前には案卓、香炉、灼台、供物、紙製の差役、楽器など、また後ろの船倉には薪、米、油、塩、薬、布や日用生活用品、紅い綸子1巻、勅書1冊、「玉旨免朝」を奉じた12人の代天巡狩更に、360人の進士の禄位、等があった。
人々は神棚を急いで用意して、樹王公宮で祭った。その後、船を送り出したが、船が帰ってきた。
をして尋ねたところ、ここにずっととどまりたいという事であったので、同年4月18日に、神を樹王公宮に迎え入れ、後に鎮海宮と改名した(鎮海宮董事会 n.d.)

15-3.
主祀神明(生日):12王爺(4月18日)。五年王爺ともいう。

15-4.
配祀神明及び同祀神明:獄官(王爺の手下)、城隍爺、閻羅天子、観音菩薩、文昌、王船、青王(武将で凶王)、13尊の王爺の夫人(紙糊)、樹王(神像はない)、土地公。


15-5. 古い廟門
古い廟門/重建中の廟に向かって右側の側門として使われている 96'1/7 
祭祀圏:王爺は、3つの郷鎮の十角寮即ち10個の角頭(金井鎮に1自然村、龍湖鎮に1自然村、のこり8村は深滬鎮)の当境仏。
10の村は施姓が主。清の初め、施氏潯江派が入植した。後に施琅が屯田兵や耕作用の馬を朝廷から下賜されて、集落を作った。これを、沙崗寮という。
1847年には、住民が増えたので、各地に分散することになり、各房が土地寮、頂角寮、七甲寮、雪上寮、海尾寮、后山寮、東西旧房寮、蘇庄鋪寮、東后寮、西等に分かれた。
その後、開拓が進んで生活が改善されてくると、村の中の長老達が十角寮で連絡を取り合って建宮小組を作った(鎮海宮董事会 n.d.)。

15-6.
王爺の起源:王爺は唐代開元年間の 360人の進士。朝廷内の奸臣によって殺された。
そのため、魂が皇宮でたたりを及ぼしたため、皇帝が大臣を差し向けて龍虎山の張天師を招き、これらの魂を慰撫させた。
を行い、王船を建造し、海や河へ孤魂を送り返した(鎮海宮董事会 n.d.)。

15-7.
送王船儀礼:有。4月18日は聖誕の日とされることになり、毎年廟会が開かれ、王船を送った。毎年出巡する旗号が異なるので、「新代巡」と呼ばれている。

15-8.
巡境(有無及び範囲):有。上記十ヶ村。

15-9.
分霊:フィリピン、台湾など。

15-10.
管理組織:董事会あり。十角寮から二十一人を選出。




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