『ブヌン蕃語集』(OA172)

最終更新日2010年3月31日



日本統治時代の台湾における原住民の言語調査と教科書編纂


  日本統治期、台湾総督府は被植民者に日本語教育をほどこし、彼らの言語・文化を日本に同化させることを目指しました。しかし、同時に、日本の植民地統治で は、末端の官吏に多くの日本人が当てられたことが一つの特色であったことが関係していると思われますが、現場の下級官吏にも現地語の習得が求められていま した。
 このため、総督府は、まず現地の諸言語の調査研究を実施し、それとほぼ平行して現地に赴任する官吏、警察官のための現地語教科書の編纂を 試みました。また、今日で言うところの語学検定試験に当たる制度を設け、試験の合格者には、級を与え、通訳などの仕事に当たらせました。
 中で も、総督府は、バラエティに富む原住民の諸言語について、当初効率的な調査、教科書編纂を目指し、あらゆる原住民語の調査に対して統一した言語(語彙、例 文)採集リストを作成し、それを全島各地域に配布し、現地に駐在する警察官あるいは総督府の嘱託などに調査をさせました。管見の限りでは、こうした統一 フォーマットの言語採集リストは少なくとも二度作成され、使用されたようです。
一度目は、明治30(1897)年に出された「蕃語編纂方針」によ るリストで、この方針に沿って、いくつかの言語についての調査報告が出されています。(この点に関しては、三尾裕子2009「「蕃語編纂方針」から見た日 本統治初期における台湾原住民語調査」『日本台湾学会報』11:155-175を御覧ください。)
  二度目は、大正初期に、総督府の嘱託であった丸井圭治郎(1912年に来台。1918-24年は、正規の官吏として勤務)が開発した一定のフォーマットに 基づく原住民語集(ここでは「対訳教本」とします)で、いくつかの言語については、調査結果に基いて、教本が実際に出版され、流通したと思われます(この 点に関しては、三尾裕子(印刷中)「警察官用原住民語教科書に見える原住民へのまなざし」植野弘子・三尾裕子編『台湾における<植民地>経験』風響社を御 覧ください)。
 大正後半以降になると、このような全島統一のフォーマットは作られなくなったようですが、逆に各地である程度の調査経験が蓄積されたためか、それぞれの地方で工夫の加えられた調査、教科書が作られたようです。

『ブヌン蕃語集』

Bunu text  front page  今回公開する『ブヌン蕃語集』(小川尚義旧蔵資料、AA研台湾資料OA172)は、出版年が書かれていませんが、おそらく昭和6(1931)年頃に印刷、 配布されたものと思われます(同書所収の「蕃社戸口」の調査が昭和5年十二月現在のものであるため)。これは、台東庁が作成したもので、上記の二種の全島 統一のフォーマットと、基本的な構成方法は同一ですが、細かな点では、異なる部分があり、台東庁独自の工夫が見られます。共通する点は、原則として一頁を 上下二段に分かち、上段に日本語の単語あるいは、例文を揚げ、下段にその台湾原住民語の訳を掲げるようにしていることです。また、原住民語の表記は、カタ カナによります。当時は調査者は専門の言語学者ではなく、現地駐在の日本人の警察官が現地民をインフォーマントに聞き取っていたのが大半だったこと、また こうして採集した言語を習得するのも現地に駐在することになる日本人あるいは台湾漢人の警察関係者であったため、カタカナが表記として使用されたと思われ ます。
 独自の工夫という点では、例えば、第5章「動詞」では、日本語で言えば、動詞の終止形だけではなく、命令形、過去形、使役などの活用にあ たる形も掲げられています。また第8章第1節の「人代名詞」(人称代名詞)では、「主格」(例えば「私が」「私は」)だけではなく、「領格」(「私の」 「私に」)や「処置格」(「私を」)なども挙げられており、上記2種の統一フォーマットに比べると、この教本の編纂者は、日本語文法に知識のあったように 見受けられます。
 しかし、もっとも大きな工夫は、この教本が単なる語学の教科書にとどまらず、当時の台東庁の現場の統治者が有していたブヌン族 に関する行政、民族誌的な知識を知ることができる点にあります。教本の第1章には、「ブヌン族ノ概念」と題して、ブヌン族内部の「部族」の別、それらの分 布状況、ブヌン族の発祥地の分布域の略図、里壠支庁内のコミュニティ(蕃社)の略地図、ブヌンの各コミュニティ(蕃社)の戸口などについて、説明がなされ ています。また、第11章「出草」には、単に首狩りに関する語彙が並ぶだけではなく、首狩りの歌(「出草歌」)が採取されていますし、第12章「歌謡」に は、日本語の歌にブヌン訳がほどこされていたりしています。第13章「姓の研究」、第14章「名の研究」では、ブヌンの姓名のつけ方の慣習が述べられてい ます。第15章「人事」では人生儀礼や祝祭などの冠婚葬祭に関わる風習についての記載があります。このように、本教本は、民族誌としても興味深い記述を含 んでいます。
 なお、第2章「ブヌン語講習に就いて」では、この教本を用いて実際にどのように講習が行われることが予定されていたのかが説明されており、当時の原住民語講習の一例としても興味深いものがあります。

「原住民」という表記について

  本サイトでは、台湾の先住民を「原住民」と呼ぶことにします。また、検討の対象になっている言語調査に関係する文書群を「原住民語集」と名付けておきま す。日本統治時期においては、台湾原住民の言語を総称するものは「蕃語」、個別の言語についても、例えば「ブヌン語」を「ブヌン蕃語」などと呼んできまし た。本サイトでは、当時の資料の中で「蕃語」が使われている場合には、その当時の文脈を尊重してそのまま使用し、それ以外では、「原住民語」とすることと します。また、台湾の先住民を「原住民」と記載することについては、現在の台湾の憲法で、先住民を「原住民」と規定していること、そして何よりも、当事者 自身が、この用語の使用を主張していることを重視して、使用することとします。

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