「酔っぱらいとMDと私」

山越 康裕

 私は外出するとき、たいていMDを携帯している。もちろん音楽を聴くのが目的なのだが、そのMDは、調査に出かけると優秀な録音機材として私のあやふやな記憶を正してくれる、優秀なパートナーへと早変わりする。日々の酷使に耐えながら、けなげに働くこのMDを見るたびに、私は調査中のある出来事を思い出す。

 私の調査地は中国内モンゴル自治区の東北部にあり、私はそこに暮らすモンゴル系のシネヘン・ブリヤートと呼ばれる人々の言語を調査している。調査中は、インフォーマントでもあるDさんの家に居候し、来客用に空けられているベッド付きの部屋を与えられそこで寝起きしている。  

 初めて春に調査に行った時のことだった。寒波に襲われたその年は、3月なかばでも朝には?20℃くらいまで下がる厳しい寒さだったこともあり、私は軽い風邪を引いてしまっていた。ぼーっとする頭で、夕食後にDさんを相手に文法調査をし終えたところで作業をやめ、机の上にノート、MD、マイクなどの道具を出しっ放しにしたまま床に就いた。リビングのテレビも消え、部屋の明かりがすべて消えた、その時だった。家の前に車がとまり、数人の男がガヤガヤ騒いでドアをたたく音が聞こえてきたのだ。こんな時間に、しかもこれだけ騒ぐのは、まず間違いなく酔っぱらいである。Dさんの奥さんがドアを開けると、案の定、酔っぱらった奥さんの弟のBさんと、その友人2人、あわせて3人のブリヤート人がズカズカ入ってきて、勝手に台所で酒盛りを始めたのだった。

 モンゴルに行った、もしくはモンゴル人と酒を飲んだ経験のある方なら御存知かと思うが、一般に、モンゴル人は日本人よりも数段、酒に強いように感じる。そのモンゴル人をして、「ブリヤート人ってのは大酒飲みなんだよなあ」と言わしめるほど、ブリヤート人はさらに強い。そんな彼らと一緒に、風邪を引いているこの体調で飲んだら、果たしてどうなることか、そう身の危険を感じて寝たふりをしていた私のいる部屋に、やはり彼らはやってきた。「おい、ヤマコシ、一緒に飲もうぜ」と日々の牧畜で鍛え上げられた屈強な腕で私をつかみ、台所へ誘おうとする。「いや、風邪だから勘弁してくれ」と言っても普段は通用しない。答えは決まって「飲めば治る!」なのだ。その問答をくり返した後、やっとのことで部屋から追い出し、台所の喧噪を気にしつつも、私はようやく眠りについた。

 どれくらい時間がたっただろうか。夜、不意に金縛りにあったように身動きがとれなくなり、私は目を覚ました。体に異常なまでの圧力がかかり、腕をあげることもままならない。「いったい何が起こったんだ?」そう思って暗闇で目をこらして見ると、なんと3人の酔っ払いのうちで一番大きなBさんが、ベッドに私がいることに気がつかず、私の上で眠っていたのだ! そのうちBさんは高いびきをかきだした。外から見れば滑稽だろうが、私にとっては生き地獄。外からの重圧、そして騒音、酒臭い寝息・・・五感全てを刺激する苦しみで、叫ぶこともままならず、どうしたものかと冷や汗をかきながら悩み続け、小一時間ほどたった時だった。

 急に体が軽くなった。Bさんが急にムクッと起き上がり、ベッドから離れたのだ。ひとまず私はホッとして深呼吸をし、薄闇の中で彼の動きを確認した。彼はうめきながら部屋の隅へ行き、そこで立ちすくんでいる。夢でも見ているんだろうか。危機から脱した解放感からか、私はBさんが面白い寝言でも言わないかと思い、観察を続けていた。するとBさんはなにやらベルトのあたりをごそごそ動かしている。そして、その直後、なにか液体の流れ出す音が聞こえてきたのだ!!
 「ジョロジョロジョロ?」
「?※!&@!!!」そう、彼は部屋の中で寝ぼけて用を足しはじめたのだった!彼のすぐ脇には、散らかしたままの調査資料と機材が載った机がある。次の瞬間、私は飛び起きてその机の上を手探りで片付け始めた。 MDが、マイクが、ノートが濡れたら・・・闇の中を必死で机の上の調査機材をとりまとめ、すべて腹に抱え、ベッドに潜り込んだ。興奮状態で普段以上に脳が活性化された状態にあった私は、しょんぼりした顔で動かなくなったMDや黄色いしみのついたノートをリュックに詰めて日本へ持ち帰る姿や、空港でまわりの人が鼻を押さえて私を避けている姿などを次々と頭に思い浮かべつつ、そこまでの作業を非常にすばやく完了していた。そればかりか、次に再び襲いくるであろう重圧に対して、受け入れ体勢まで整えていた。

 用を終えた彼は、予想通りまた私の上で眠った。先ほどとは違い、こちらも準備していたおかげで、すこしは楽になったのだが、それでも身動きはとれない。そして、心の中では、「いいかげんにしろ」という怒り、身を挺して(?)調査機材を守った私の動作に対する「よくやった、自分」という賞賛、「なんでこんなことをしてるんだろう」という情けなさ、「Bさん、気持ちよさそうに寝てるよなあ」という小さなうらやましさ、「ほかの場所で調査している人たちは、もっとかっこよくやってるんだろうなあ」というもの悲しさなどなど、いろいろな気持ちがめぐりめぐって興奮したまま、私はまんじりともせずに長い夜を明かした。

 翌朝、もちろんBさんは昨夜の出来事なんておぼえちゃいなかった。幸いにしてMDは何の問題もなく、それまでと同じ顔で目の下にくまをつくった私を迎えてくれた。いや、そう思っているのは私だけかもしれない。大型量販店で買われ、音楽鑑賞用として平凡におつとめするはずだったろうこいつも、私という持ち主のせいでとんだ災難にあったと嘆いていたかもしれない。そう思うと少しかわいそうになって、この一夜以降、私はMDたちの気持ちになって、調査の後はいつも、きちんと片付けるようになった。まだまだ長生きして、私とともに調査地での見知らぬ出来事をいくつも体験してもらうために。