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 D-1: Sam Kauw Gwat Po
(『三教月報』)


 発行元:  Boekhandel "Moestika", Tjitjoeroeg (1934-1947年)
 言語:  ムラユ語
 備考:  プラナカン文学の大家としても知られる郭徳懐(Kwee Tek Hoay)が1934年から発刊し続けた、「中華の宗教(Agama Tionghoa)」に関する月刊誌。
バタヴィア仏教協会(Batavia Buddhist Association)、バタヴィア三教會(Sam Kauw Hwee Batavia)等の機関誌も兼ねる。
原資料からのスキャン・データ。
モノクロ、全45号、1,960ページ、アルファベットOCR処理済み。
資料提供: Harianto Sanusi氏


 No.   ファイル   頁数   内容   No.   ファイル   頁数   内容   No.   ファイル   頁数   内容 
1  1934年 10月号  31  No.31 44 4月号  61  No.61 44  10月号 
 2  11月号  32  No.32 40 5月号  62  No.62 44 11月号 
 3  12月号  33  No.33 44 6月号  63  No.63 44 12月号 
 4   1935年  1月号  34  No.34 44 7月号  64  No.64 44  1940年  1月号 
 5  2月号  35  No.35 44 8月号  65  2月号 
 6  3月号  36  No.36 44 9月号  66  No.66 40 3月号 
 7  4月号  37  No.37 44  10月号  67  No.67 40 4月号 
 8  5月号  38  No.38 44 11月号  68  5月号 
 9  6月号  39  No.39 40 12月号  69  6月号 
 10  7月号  40   1938年  1月号  70  No.70 44 7月号 
 11  8月号  41  2月号  71  No.71 44 8月号 
 12  9月号  42  3月号  72  9月号 
 13   10月号  43  4月号  73   10月号 
 14  11月号  44  5月号  74  11月号 
 15  12月号  45  6月号  75  No.75 44 12月号 
 16   1936年  1月号  46  7月号  76   1941年  1月号 
 17  2月号  47  8月号  77  2月号 
 18  3月号  48  No.48 44 9月号  78  No.78 44 3月号 
19  4月号  49  No.49 44  10月号  79  No.79 42 4月号 
20  5月号  50  No.50 44 11月号  80  5月号 
21  No.21 45 6月号  51  No.51 40 12月号  81  6月号 
22  No.22 44 7月号  52  No.52 44  1939年  1月号  82  7月号 
 23  No.23 44 8月号  53  No.53 44 2月号  83  No.83 44 8月号 
24  No.24 44 9月号  54  No.54 44 3月号  84  No.84 44 9月号 
25  No.25 44  10月号  55  No.55 44 4月号  85  ― 
26  No.26 44 11月号  56  No.56 46 5月号  86  ― 
27  No.27 44 12月号  57  No.57 44 6月号  87  ― 
28  No.28 44  1937年  1月号  58  No.58 44 7月号  88  ― 
 29  No.29 44 2月号  59  No.59 44 8月号  89  ― 
 30  No.30 44 3月号  60  No.60 44 9月号  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 

  ※原資料は、第21号~第39号と第48号~第84号の2巻に合冊されている。
    なお、リンクのない号は資料未入手である。



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解説

■編著者について
Kwee Tek Hoay (郭徳懐; 1886-1951年)
 ボゴール生まれ。父Kwee Tjiam Hongは福建南安出身、後にボゴールに移り住み漢方薬や布を商う。母はボゴールの有力家系の出(3世代目)であるTan Ay Nio。日常的にマレー語に接して育った郭徳懐は、一時福建語による学校教育を受け――ただし、中国語全般に対する能力はさほどなかったと言われている[Van Rees 1987: 54]――、その後オランダ人から会計とオランダ語を、またボゴール中華會舘の英語教師の任にあったインド人から英語の個人指導を受けた。20歳の時に親の勧めにより、ボゴールの甲必丹(Kapitan)Tan Kie Lamの孫娘Oei Hiang Nioと結婚。
 ボゴールで雑貨店Toko KTHを営む傍ら、印刷・出版所Moestika (1931年バタヴィアに設立、1935年チチュルンに移転)を興す。様々な宗教に関心を持って本を読み漁り、ボゴールの福徳正神廟や中華會舘、あるいはバタヴィア・マンガブサールの観音堂などで、仏教・儒教・道教に関する講演を行なうようになる。神智学(Theosophy)の活動にも活発に携わる一方で、ボゴール中華會舘の理事長、ジャワ学務總會(Djawa Hak Boe Tjong Hwee)の副理事長を歴任するなど、華人子弟の教育にも熱心であった。
 文筆家としても若き日より頭角を現し、1902年以来Li PoBintang Betawi、Ho Poなどのマレー語新聞・雑誌に寄稿をしている。1925年にはバンドゥンで立ち上げられた日刊紙Sin Binの編集長に就任、また1926年には『新報(Sin Po)』に反対する立場から月刊誌Panoramaを立ち上げている。ほどなくして同誌を売り渡し、それと相前後するように1930年にはMoestika Panorama誌を創刊、1932年にはMoestika Romansと名を変え、短編小説の他、宗教・女性・家族・政治など幅広い内容を掲載し、人気を博した。1932-34年には主に宗教に関する週刊誌Moestika Dharmaを創刊、1934-47年には三教に関する宗教哲学、および神智学を集中的に扱う専門誌『三教月報(Sam Kauw Gwat Po)』を立ち上げ、同時に設立した三教會(後述)の活動を思想的に牽引する。また、仏教や儒教に関する著書も多数執筆・出版している。
 宗教的著作に加え、1920-30年代を中心に風刺や教訓に満ちたマレー語によるロマン小説を数多く執筆し、彼の監督する劇団(Sandiwara Miss Intan)に多くの作品を提供するなど、いわゆるプラナカン文学に対する貢献も大きい。また、東インドにおける中華ナショナリズムの展開について論じたAtsal Moelahnja Timboel Pergerakan Tionghoa yang Modern di Indonesia (1936-37年)は、後に英訳されコーネル大学から出版されてもいる[Gunadharma 1989; Salmon 1981: 209-218; Setyautama 2008: 150-151]


■内容について
 20世紀初頭、中華ナショナリズムの勃興と並行して「華人の精神的支柱」を確立しようとする動きが起こる。1900年にはバタヴィアに中華會舘(Tiong Hoa Hwee Koan)が設立されるが、ジャワを中心に東インド各地に拡大したこの動きは、華人の「悪しき慣習」を改めるべく、孔子の教えを「中華の宗教(Agama Tionghoa)」と見立て、近代教育を推進することを掲げていた。中華會舘運動がやがて教育に重点を移していったのに対し、1920年代に入ると西洋化・近代化に対する反動から、同じ孔子の教えを持ち上げる今度は保守的な動きが生じ、各地に孔教會(Khong Kauw Hwee)が設立され出す。1931年8月には、この運動の中心であったソロ(Solo)の孔教會の主催により、東インドの華人の宗教について討議する会議が開かれたが、その席で、プラナカン華人に「中華の宗教」の意味・価値を伝えるマレー語の定期刊行物の必要性が確認されたという。これに応える形で郭徳懐が発刊したのが、Mostika Dharma誌(1932年)である。ただし、儒教や仏教が(特に若年層からの)幅広い支持を獲得するに至っていない現状を憂えていた郭徳懐は、中華會舘や孔教會が「中華の宗教」の根幹は孔子の教えであるとしてきた従来の解釈に対して、儒教・仏教・道教の3つの教え全体を「中華の宗教」と捉える考えを、同誌の中で展開するようになる[Van Rees 1987: 56-61; 1989: 194-197]。その延長として1934年5月、儒・仏・道の3つの教えが一堂に会する場としてバタヴィア三教會(Sam Kauw Hwee Batavia)が設立され、また、Moestika Dharma誌に替って三教に特化した思考表明・意見交換の場として発行されたのが、ここに掲載する『三教月報(Sam Kauw Gwat Po)』である。
 当時郭徳懐はバタヴィア仏教協会(Batavia Buddhist Association)の理事長も務めていたことなどから、バタヴィア三教會は当初より仏教色が強かったことで知られている。また『三教月報』も、バタヴィア三教會・仏教協会両者の機関誌として機能した。ただし、その後東インド各地に三教會の支部(Kediri、Teluk Betung、Palembang、Samarinda、Makasar、Manado、Gresik、Tempeh, Bogor等)が設立されていく過程で儒教の色合いも増し、3つの教え相互のバランスが取れたものになっていったと言われている[Van Rees 1989: 199]
 なお、三教會の諸支部は1952年に天理會(Thian Li Hwee)も加えた上で、インドネシア三教連合会(Gabungan Sam Kauw Indonesia: GSKI)として再編され、後にインドネシア初の比丘となる鄭満安(The Boan An)が初代理事長に就任した。1963年にはインドネシア・トリダルマ連合会(Gabungan Tridharma Indonesia: GTI)へと改称、1976年には聖職者部門Majelis Rohaniwan Tridharma Indonesiaを立ち上げている。後者の聖職者部門は1977年に、スラバヤに本部を置く三教系組織(印尼三教廟宇聨合會, 1967年設立)の聖職者部門と連合、1979年には完全一体化を果たし、華人や宗教に対する風当たりの強かったスハルト政権下の困難な時代に、各地の寺廟を庇護する傘団体として機能した。しかし、実質的な宗教活動の停滞への不満から、1997年にはかつてのGTI傘下の寺廟がこの全国版三教組織から脱退、1999年にはインドネシア・トリダルマ仏教協会(Majelis Agama Buddha Tridharma Indonesia)を立ち上げ、「トリダルマ(三教)の父」である郭徳懐の遺志を継承する団体として新たなスタートを切っている。
 1934-47年まで発刊され続けた『三教月報』は、編集・執筆とも郭徳懐が中心的役割を果たしており、彼の宗教的思考を読み解く上では、その膨大な著作群の中でも極めて重要な部分を占めている。人々が「拝拝」することのみに執心し、その背後にある宗教哲学や教えなどに対して無知であることに不満を抱いていた郭徳懐の立場を反映し、同誌では――やや仏教色が濃いものの――仏・儒・道に関する思想や教えの個別的紹介――これら3つを統合・体系化することは目指されていない――が中心に据えられている。また同時に、「中華の宗教」の別の一角を成すとされる、慣習的な儀礼や祖先・神明崇拝などに関する記事も目立つ。各地の三教會やバタヴィア仏教協会の行事などを報告・紹介する記事もあり、同時代の華人の宗教活動の実態を知るための資料としても価値は高い。
 


※参考文献
 Gunadharma, Visakha. 1989. "Riwayat Hidup Kwee Tek Hoay", in Myra Sidharta (ed.) 100 Tahun Kwee tek Hoay: Dari Penjaja Tekstil sampai ke Pendekar Pena. Jakarta: Pustaka Sinar Harapan, pp.257-273.
 Van Rees, Michonne. 1987. "The Sam Kauw Hwee and Christian Conversion amongst the Peranakan Chinese in Late Colonial Java", A Master thesis presented to the Department of Indian and Indonesian Studies, University of Melbourne.
 Van Rees, Michonne. 1989. "Kwee Tek Hoay dan Sam Kauw Hwee", in Myra Sidharta (ed.) 100 Tahun Kwee tek Hoay: Dari Penjaja Tekstil sampai ke Pendekar Pena. Jakarta: Pustaka Sinar Harapan, pp.257-273.
 Salmon, Claudine. 1981. Literature in Malay by the Chinese of Indonesia: A Provisional Annoted Bibliography. Paris: Editions de la Maison des Sciences de l'Homme.
 Setyautama, Sam. 2008. Tokoh-tokoh Etnis Tionghoa di Indonesia. Jakarta: Kepustakaan Populer Gramedia bekerjasama dengan Chen Xingchu Foundation.



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