日程
9/14 移動 東京−北京−ウルムチ
9/15 移動 ウルムチ−カシュガル
9/16 カシュガル現地支援者と面談、情報交換等
9/17 カシュガル旧市街文献調査
9/18 カシュガル旧市街文献調査
9/19 カシュガル旧市街文献調査
9/20 カシュガル旧市街文献調査
9/21 カシュガル旧市街文献調査 (夜間)移動 カシュガル−ウルムチ
9/22 ウルムチ: 現地研究者と情報交換
9/23 移動 ウルムチ−北京−東京
日誌
9月14日 移動 東京−北京−ウルムチ
・財団の出張から僅か2週間のインターバルを置いて、またもウルムチへ移動。
・いつになく眠く、眠ったり本を読んだりしていたらあっさりウルムチに到着。年々ウルムチはアクセスが容易になってきているように感じられる。空港から市内へは新たにオープンしたハイウェイを利用し、ものすごくスムーズに移動。信号に阻まれることなく、金銀大道の出口で一般道に下りる。
・ウルムチ市内・延安路口の新農大厦に宿泊。
9月15日 移動 ウルムチ−カシュガル・日中は入院中の恩師を訪問、ウルムチ市内踏査など。
・真新しいウルムチ空港から僅か2時間弱でカシュガルへ移動。カシュガルは2年ぶりである。前回はバザールへの移動が大変な色満賓館(旧ロシア総領事館)だったので、反省して今回はチニバグ賓館(旧英国総領事館)に投宿。3星級になったとかで部屋は大変清潔で快適、ただし宿泊費も相応に値上がりしていた。
チニ・バグ賓館(旧英国総領事館)
・チニ・バグ賓館敷地内にはキルギス観光の案内板が設置されており、カシュガル-ビシュケク間の交通がそれほど特殊なものではないことを窺わせている。フェルガナからオシュに至り、山道を抜けてエルケシュタムから国境を越え、ミンヨル経由でカシュガルに至るルートは近代史でも何度も登場する。カーシュガル・ホージャ家の失地回復運動からヤークーブ・ベグ、今世紀ではハルトマンやモリソン、ヤリングも辿った道。このルートも近いうちに踏査してみたいものである。
9月16日 カシュガル
・早速行動開始。朝一番で博物館のY氏来訪。実際の調査にあたりアシストしてくれるよう紹介を受けた人物であるが忙しそう。結局旅行社のガイドを紹介してもらうこととした。しかし旅行社では「カシュガルの職人はみな親切だし、あんたは言葉が喋れるようだからガイドは要らないだろう」と軽くあしらわれてしまう。一度だけメールのやり取りをしたことがあるE氏の名前を挙げたら、スタッフの態度がどうもおかしい。何となく腑に落ちないものを感じつつも旅行社を後にした*。
・本日は第一日目ということもありまずは街を歩き土地勘を身に着けることに専念。途上、ある店で史料発見。チャガタイ語の文書で、民国期に書かれたものらしい。ちょっと高価なのでためらうも結局購入することにする。売り手に私の携帯電話番号を渡し、もしも類似の出物があったら連絡をもらえるようにしておく。こういうとき、つくづく携帯電話は便利だ(東京ではうっとおしいだけなのだが)。
カシュガル市内で現在もみやげ物として売られているチャガタイ語文書。
・昼過ぎ当プロジェクトのメンバーであり、現在国連大学秋野フェローシップでウルムチに留学中の清水由里子さんと再会。連れ立って旧知の郷土史家A氏に会いに行く。あらかじめ清水さんが約束していた場所でA氏と2年ぶりの再会を果たした。氏はお変わりなく、歴史談義を楽しむ。
・A氏によるとカシュガル市の魅力的な部分であるイード・ガーフ・ジャーミーの左右に展開するバザールは道路拡張工事により近く取り壊しの予定なのだとか。A氏の話では「破壊」はそればかりにとどまらず、今後旧市街の古い建物をを順次取り壊していき、鉄筋コンクリート製の現代的なアパート(ビナ・オイ)をそれに替えるつもりなのだとか。カシュガルの旧市街部は新疆でもっともよく前代の都市景観が保存された貴重な文化遺産である。「町並み保存」というような考え方を今のカシュガル市政府に求めることは無理なのだろうか。いささか現金な言い方をするならば、観光資源としてもこれら町並みは貴重なものだと思うのだが。
*後日そのE氏が私がカシュガルを訪問したその頃には既にイスタンブルに亡命していたことを知った。私に応対した人々が外国人相手の旅行社スタッフであるにもかかわらず、個人旅行者−しかも怪しげな現代ウイグル語を操っているような人物−との接触をあまり嬉しく思わないように見受けられたのは、そうした事情があったからなのかもしれない。 9月17日 カシュガル
・カシュガルにしては珍しく雨模様。朝A氏と待ち合わせ、まずは帽子職人のインタビューを試みる。カシュガルは進んでいる。手工業者に会ってまず「名刺交換」して「携帯電話の番号」を教えあうのだから。この点、春に調査したコムルとは大違い。
・ドッパ(漢語で「花帽」とも。ウイグル人がかぶるスカル・キャップ)ひとつにもさまざまな「思い」が込められているようで、ドッパの内側はなぜ赤いのか?どうしてドッパは4角形をしているのか?白黒のドッパに込められた意味は何か?−−等等、さまざまなお話を伺った。。 まともなドッパ職人はそれらを常に意識しており、そういう気持ちを込めてドッパを作り、商うのだという。
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さまざまな民族帽が並べられた帽子商の店舗(左)と、 珍しく雨が降った旧市街(右)
木 工 職 人
・帽子職人の店舗を辞去し、A氏と別れ旧市外を歩き回る。雨のため地面がぬかるみ、調査どころではない。とりあえず翌日以降のインタビュウの当たりをつけるべく、ナン焼き、木工、銅工など業種ごとの店舗の位置の把握につとめた。
9月18日 カシュガル
・靴屋(ムズドゥズ)からスタート。A氏の紹介で大工(ヤガチチ)、鍛冶屋(トムルチ)を順々にめぐる。コムルの職人と違い、カシュガルのそれはサワト(識字)の無い職人が多く、そのためリサーラ(職業別祈祷ハンドブック)の事を聞いてもどうも反応がよくない。いったい職人は「そもそも」文字が読めないものなのか。それとも「読めなくなってしまった」のか? 写本カタログなどを見れば、19世紀末から20世紀初頭にかけてここカシュガルで多くのリサラが流通(使用)されていたことは明らかだ。そのリサラはどのように「読まれて」いたのか?
・「カウンター・テロリズム」の名の下に政治的圧迫がきつい昨今のカシュガルの特殊事情に鑑みるならば、現役の職人たちが、アポなしで変なことをかぎまわっている外国人には正直なことは言わないでおこう、という態度を決め込んだ可能性も否定できない。きわめて難しい状況である。
・他方、現役の職人に比して、引退した親方級の老職人はかなりいろいろなことを話してくれた。漢語で言うところの「老牛不怕」の心持ちの故か。
靴 職 人 (左) と 鍛 冶 屋 (右) の 工 房
9月19日 カシュガル
・朝からナン焼き職人(ナンワイ)、床屋(サトラシュ)、銅細工職人(ミスカルチ)、裁縫職人(サイポン、マシンチ)、金細工職人(ゼルゲルチ)を精力的に、と言いたい所だが、相当の距離を歩き回り相当消耗する。ナン焼き職人のおじさんの雰囲気がカシュガルのバザール研究の専門家であるS先生によく似ておられ、妙な親しみを覚えつつ聞き取り調査を行った。
(1) ナ ン 焼 き 職 人 , (2) 銅 細 工 職 人 , (3) 床 屋 と (4) 床 屋 道 具
・夕刻はイード・ガーフ傍らの個人書籍商の店舗で現代ウイグル語版『毛主席語録』ほかの資料を購入。ある店では文書などに押す立派な印章が1000元で売られていた。カナリそそられたが1000元は高い。私はあくまでその印章を押した紙切れの方に関心があるのだ、と無理やり自分に言い聞かせて購入は見合わせる。
9月20日 カシュガル
・ジュマー(金曜礼拝日)。午前中は割とまとまった数の文書資料を入手し、一日中その整理に従事。1枚ずつ鉛筆で仮番号を記入し、念のために主だったものはデジカメで撮影した。小休止ののち金曜礼拝を見学するためまちに出る。
9月21日 カシュガル(夜、ウルムチへ移動)
・いよいよカシュガル滞在最後の日。朝にあらかじめ約束してあったエンジャン・レステの金細工職人を訪ね、職人仕事の道具の数々を写真に収める。店主から14金の何とかという番号のものをメッキするための薬剤の入手方法について調べて欲しいと懇請されたが、インターネットで調べられるだろうか。
金 細 工 職 人 氏 と お 嬢 さ ん
・その後A氏宅を訪問し、氏のコレクションをひととおり見せてもらう。写本はホージャ・アーファークに関するものが複数あるあたり、さすがカシュガルである。また末尾がかけているのが残念ではあったが19世紀のヤークーブ・ベグ時代を扱った散文の歴史書もあった。その歴史書は冒頭部分に著者の歴史観を開陳したくだりがありなかなか興味深い。氏のコレクションはさすがに歴史家の蔵書ということで充実しており、見ていて満腹を覚えるぐらいである。満腹のあまり(時間も無かったのであるが)写真は次回訪問したときに腰をすえて撮影させてもらうこととし、今回は見合わせた。ひとしきりA氏と文献の話、昨今の国際情勢についてシビアな話をし、ついで奥様の手料理をご馳走になる。やはりウイグル家庭料理はとてもおいしい。
・午後は小休止ののちチニバグ・ホテルをチェックアウトしてA氏と本屋へ。ブハラで出版された石版本のリサラ(農夫、床屋、肉屋、鍛冶屋、靴屋などのリサラをまとめたもの。末尾欠)やその他雑多な資料を若干購入。どうも市価よりは高い値をつけられてしまったようで、そうA氏の指摘を受けちょっぴり反省する。これにてカシュガルの日程はおしまい。最後に先日訪問した帽子屋を訪ね座り込んで四方山話を楽しみ、帽子屋(R氏)とA氏にさよならを言って空港へと向かう。
・ウルムチに向かう機内では「清真(=ハラール)」のラベルの貼られた月餅が配られた。そういえば今宵は中秋なのであった。