2) チョーラ朝の碑文にみられるシュリーヴィジャヤとの交渉については、辛島昇「シュリーヴィジャヤ王国とチョーラ朝」(石井米雄他編著『東南アジア世界の歴史的位相』東京大学出版会1992)を参照。両国の関係は全般的には友好的なものであったと見られる。 return to Main body
3) クシャトリヤの聖職者はbhagavad、ヴァイシャのそれはrsiと呼ばれるという説明をクシャトリヤの人から受けた。しかしbhagavadと呼ばれる人達は実際の儀礼を執り行うことはないそうである。 return to Main body
4) シヴァ教の儀礼については拙稿「タントリズム」(岩波講座『東洋思想』第六巻『インド思想2』1988年)および"Diksa in the Tantraloka"(『東京大学東洋文化研究所紀要』第119冊,pp.45-84,1992年)を参照。 return to Main body
5) "Aatmaarthapuujaa versus Paraarthapuujaa in the .Caiva tradition", The Sanskrit Tradition and Tantrism, T. Goudriaan ed., Brill 1990, p.18. ブリュンネル女史はアーガマに見られる儀礼を分析して、その初期においては「古個人儀礼」と「古公共儀礼」と呼びうる二つの独立した儀礼の伝統が存在していたと推定している。このうちの「古個人儀礼」のあり方がバリ島のものと類比できるだろうと述べている。 return to Main body