声調の表記

タイ語やビルマ語などでは、高低や抑揚の型の違いによって、あらわす意味が変わってきます。このような高低・抑揚の型を「声調」と呼びます。クメール語は声調をもたない言語なので、当然それを書きあらわすクメール文字にも声調をあらわすしくみはありません。そのため、タイ文字は声調をあらわすしくみを独自に発達させました。
---東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編『図説 アジア文字入門』 (ふくろうの本 世界の文化)河出書房新社, 2005, p.25より

同様に、ビルマ文字も、もととなったモン文字になかった声調を表すしくみを独自に発達させました。

ビルマ語が始めて文字に書き表されたバガン朝の西暦12~13世紀は、モン語にないビルマ語の音の特徴をどう書き表すかについて様々な試行錯誤が行われた時期でした。当時のビルマ語はすでに、現在と同じように1類・2類・3類の3つの声調の対立を持っていたと考えられます。そのうち、特にきわだった音の特徴(日本語の促音のような「つまる」音だったと考えられます)を示す声調3類が、他の2つと異なる書き方をされていました。また、声調1類と2類の書き分けも部分的に行われていました。1類と2類の書き分けもかなり厳密に行なっているのがアトーラッ碑文です。

次のインワ朝の時代になると、ビルマ語を書き表すこと自体に慣れてきたためか、1類と2類の書き分けは行われなくなります。3つの声調が完全に書き分けられるようになるのは、ウインジー寺院の墨文の書かれた18世紀より後のことです。