プロフィール
アポロニア・タマタ(Apolonia Tamata)助教授

 頭がよくて、ウィットに富んでいて、でもちょっぴりお茶目で子供のようなところのあるチャーミングな女性に会いたくなったら、AA研6階のアポロニア・タマタ助教授、通称ニアの部屋をぜひ訪ねていただきたい。南太平洋のフィジー共和国からお見えになった言語学者である。普段は、フィジーの西、ヴァヌアツ共和国(旧英領ニュー・ヘブリデス)にある南太平洋大学のエマルス・キャンパスで衛星を利用した通信課程の講義を担当するかたわら、フィジー語の方言のひとつ、ンブア方言の記述研究をすすめている。

 南太平洋大学の教養課程で教員免状をとった後、小学校で教鞭をとったり文部省の仕事をしながら専門の単位をとり、英語学及び地理学で学士号を取得。その後、フィジー言語文化研究所でLexicographer(辞書編纂専門員)として活躍した後、フルブライト奨学金を受けてハワイ大学に留学、修士号を取得した。フィジー人としてははじめての言語学者の誕生である。「本当は統語論をやりたかったけど、2年間で論文まで全部終えようとおもったら音韻の分析をするほうが現実的だった」という修士論文は、それまで「開音節語」のひとことですまされていた標準フィジー語の自然発話における音節構造、特に母音の脱落や子音の音変化などをはじめて記述・分析したものとして高く評価されている。

 ところでンブア方言の記述のためには、私がカンダブ島に行くように、彼女はンブア地域にフィールドワークに行く。親戚筋の村での調査はさぞ効率よく進むことだろう、などと安易に考えていたら、実は、外国人だからといって見逃してもらえる部分がないぶんだけ大変であるらしい。そもそも村の言葉や生活は彼女が育った都会のそれとは異なっている。さらに、礼儀や慣習に抵触しようものなら、「だから都会育ちは」とか「海外で暮らしてきたものは」などというそしりを受けかねない。加えて、フィールドワーカーなら必ず経験する数々のフラストレーション。言われてみれば、現地の人に言語調査の何たるかを説明するのが難しいのは、たとえ調査者が同国人であっても同じことだし、「姪っ子のニア」が村を訪れるとなれば、それなりの贈り物を持参し、カバを飲み、語りの輪に加わることが要求されるのは彼女が言語学者であっても変わりはない。彼女との「村でのできごと」の話はいつも、調査地においての「深刻な問題」にはじまるはずなのに、いつしか「あいつら」の「おかしな」行動の話になり、そして今ごろあちらでも「言語学者」の「おかしな」行動について話しているであろうことがよくわかっているから、必ず最後はそのギャップに二人で笑いころげてしまう。そして私はいつも、彼女が私の自国人や文化に対するコメントを同じ立場にいるものとして客観的に受けとめてくれるのは、実はすごいことなのではないか、と思う。

 今回の招聘の目的は、豊かな教育経験を生かして一緒に担当してくださることになった1999年度の言語研修の準備とンブアの言語と文化に関する資料のデジタル化だが、AA研での8ヶ月の研究活動を通して彼女の側でもたくさんのことを吸収し、学術・技術面で隔離されがちな南太平洋の島へ持ち帰ってほしいという、私自身の思い入れもある。それだけに、出発予定前日に「ビザ申請のためにフィジーの日本大使館に送ったパスポートがまだ手元にもどっていない」との e-mail が届いたきり連絡がとれなくなってしまった彼女が成田空港のゲートから出てきたときには、感激もひとしおであった。成田から研究所までの道は彼女も私もすっかり興奮してしまい、まるで遠足に行った子供のようだったにちがいない。そう、それになんといっても、切符を買って電車に乗るというのは、彼女にとってはじめての経験だったのだから。


(『通信』第94号掲載予定)

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