プロフィール
ローレンス・A・リード(Lawrence A. Reid)教授

 街でばったり出会った村人が、体調が悪いといって薬をねだる。写真を撮ろうとしたらそっぽを向いた子供が、ドクター・リードの「おいで」の一言でカメラに向かって笑ってくれる。35年前、まだフィリピンの山奥では「外国人」が話の中だけの存在であった時代に、言語学者として滞在しながらも医療・助産の知識を持ち、百人以上の子供をとりあげた「ドクター」は、今でも村の人にとってはPh.D. (Doctor of Philosophy)ではなく M.D. (Medical Doctor) であるのに違いない。

 1991年に客員研究員としてお見えになり、その後、本研究所での研究会にも何度か顔を出されたので、すでに顔なじみの方も多いかと思う。ご専門はフィリピン諸語の記述とオーストロネシア諸語の比較研究だが、言語の再建では常に考古学などの分野における最新の成果との関連性を考慮し、また植物の現地名辞典の編纂を手伝うなど、常に「ことばの周辺」を含んだ幅広い視点で研究をすすめておられる。

 今回は情報資源利用研究センターの客員教授としてお見えになった。画像・音声データのデジタル化の技術を利用してボントック語の多方言マルチメディア事典をつくるのが一番の目的で、そのあと二番目、三番目とリストは続く。ご本人いわく「カードに穴をあけていた時代からのコンピューター利用者」なのだそうで、それだけに、技術協力と資金援助さえ得られれば何ができるかよく知っている。州財政悪化の影響をここ何年ももろに受けているハワイ大学で一人あたためてこられた構想を、ふとしたきっかけで私が耳にしたことで今回の招聘と相成った。リストにはオーストロネシア諸語の比較言語学データベース、1975年に「発見」されるまで狩猟・採集生活をおくっていたタサダイ族の当時の録音データの公開などと、学者としての長い経験と成果をそのまま鏡に映したような大プロジェクトが並ぶが、さて、一年間でこちらがその熱意にどれだけこたえられるか。受け入れ側としては責任の重さに身震いする余裕すらない。

 フィリピン各地遍歴の後、昨年30年ぶりにもどったボントック地域の変容ぶりにショックを受け、失われつつある豊かな文化を記録しのちのちの子供たちに伝えたい、と、昨年からはじめられたボントック・プロジェクトを始められた。研究費での購入を希望されたカラー・プリンターは、村にマルチメディア事典のプリントアウト版を持って帰るためのものである。高価なコンピューターこそなかなか入ってこないが、手編みの籠がプラスチックのバケツに変わり、子供たちが街のことばを話し出すのはあっという間だった。

 さて、その急速に変貌しつつあるギナ・アン村では老人がしきりに「ここへ帰ってきてもういちど治療をはじめておくれ。」とねだり、ドクター・リードが見せた「奇跡」の数々について語りはじめる。「やめておいた方がいいと思うよ。奇跡は言い伝えの中でこそ」という私に、先生は笑って、「もう忘れてしまったからどちらにしても無理だよ。」

斯く、私たち一同は、先生の「言語学博士」としての活躍に期待する、という次第である。


(『通信』第94号掲載)

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