カメラはまた、ンドゥリアナーリと拉致された女性の二人が持ち歩いていた身の回り品をも、克明に映し出していた。
1.槍 | 1本 | 地元製 |
2.山刀 | 1振り | 地元製 |
3.カペキ(kapeky)と呼ばれる火打ち石と牛の角にパンヤを詰めた 火口入れのセット |
| 1個 | 所有者の手作り |
4.アルミ製鍋 | 1個 | 首都町工場製 |
5.アルミ製匙 | 2本 | 首都町工場製 |
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これらの品のどれを取っても、この地方の民家なら何処にでも必ずある物であり、お尋ね者ンドゥリアナーリに特有な物は何一つないと言ってよい。槍(saboha 軸受けの形状からすると正確には鉾であるが、槍との通称に従う)は、猪狩りの用途のために多くの家に置かれているが、牛泥棒や米泥棒あるいは強盗が村に侵入した際には、自衛のための武器に早変わりする。ンドゥリアナーリも乱闘の際に気丈にも組み付いてきたマルクエーラ村のおばさんの太股をこの槍で刺し抜いた一方、マニオク(キャッサバ)などイモを掘り取る際にも掘り棒代わりに用いていた。ブルジン(boroziny)と呼ばれる山刀は概して柄が刃よりも長く、灌木や下草の伐採、サトウキビの採取と皮むき、木材の加工と工作、動物の解体などこの地方の日常生活の中で最も汎用される鉄製品である。またマダガスカル南部で槍を持って歩くことが男性であることおよび正装での外出を誇示する行為であるならば、この地方では山刀を持って歩くことが同種の行為である。村人たちとの乱闘の際、ンドゥリアナーリは山刀を振り回し後ろから組み付いた男性の頭部に重傷を負わせた一方、彼に致命傷を与えたのも村人による頬から後頭部にかけての山刀の一撃であった。どのように激しい喧嘩であれ、村内では殴り合いないしラフィア椰子の葉柄による叩き合いまでが定型化された闘争様式であり、致命傷を負わすことができると知られている槍はもちろんのこと山刀を持ち出すことも暗黙の内に厳禁されている。
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テレビの画面からは槍も山刀も、この地方の鍛冶屋(ampanefy)によって作られたものと見てとることができた。今では鉄鉱石から鉄を得る製錬技術を持たないものの、ふいご(tafoforana)と金床と金槌と金ばさみそれにヤスリくらいの道具を備え、農民からの注文に応じて廃材の鉄から鋤や斧や山刀や槍やナイフや包丁やノミあるいは牛鋤きや牛車やまぐわの部品であるボルトや鎖などを造る鍛冶屋は、この地方では農村はもちろん県庁所在地のような町でも少なくはない。ツィミヘティ文化と社会における鍛冶屋とは、単に鍛冶の技術を持つ農民であり、職業として特殊化しているわけでは全くなく、従って社会生活の中で聖化であれ賤視であれ被差別化されているわけではない。鍛冶屋になるかならないかは、第三者から伝えられたりあるいは習得した鍛冶の技術を使うのか使わないかとの個々人の問題にすぎない。このような個人営業の鍛冶屋が造りだした鉄製品は、市場、とりわけ隔週に開催される牛市の場に鍛冶屋自身の手によって持ち込まれ、直接購入者兼使用者の手へと渡る。
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カペキは、先述したように牛の角の中にパンヤの火口を詰めたものと石と鉄片がセットになったものである。これは売買される商品ではなく、使用者自身が自分で牛の角を削り、木で蓋を付け、作るものである。しかし現在では、灯油も用いることのできる安価な中国製ライターとマダガスカル製マッチの普及により、この地方においてカペキは急速にその姿を消しつつある。また、山刀1振りかナイフ1本があれば、レンギ(rengy)と呼ばれる発火法を試みることもできる。レンギは、1本の木の枝に先を尖らせたもう1本の木の枝をあて、両手でもみこむように枝を回し、摩擦熱で発火を誘発させる方法である。枝を削るための刃物があり、この発火法に適した種類の木を知っているならば、思いの外簡単に火をおこすことができる。カペキとレンギは、単に二つの異なる発火方法と言うよりも、それぞれの異なる用途に対応した発火方法である。すなわち、レンギが鍋を使って煮炊きを行うための火ないし直接物を焼くための火をおこす方法であるとするならば、カペキはもっぱら紙巻きタバコやマダガスカル産の葉煙草パラッキ(paraky)に火をつけるために用いられる。ンドゥリアナーリがカペキを所持していたことは、恐らくはこのパラッキと言う嗜好品を<森>を移動する逃亡生活の中でも手放すことのできなかったことを示している。
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アルミ製の鍋と匙は、上記のメリナ系の<小さな商品(を扱う人びと)>が、町の露店や小屋掛けの仮店舗で売っている定番商品の一つである。これらのアルミ製品は、首都アンタナナリヴの町工場でアルミ廃材を溶解した上型に流し込んで作られ、各地に送られている。フランスの鍋が原型となっており、この鍋一つで多くのマダガスカル人の主食であるご飯を炊いたりあるいはおかずを煮たりする。かつて用いられていたであろう土鍋は、現在ではこの地方の田舎においてさえ全くその姿を眼にすることができない。ンドゥリアナーリと拉致された女性の二人は、アルミ鍋一つだけを煮炊きの道具として持ち歩いていた。村における日常の生活であるならば、米を炊く鍋とおかずを煮る鍋の二つが最小限必要であるが、二人は畑から盗んだマニオク(キャッサバ)などのイモを主に食べていたため、これでも十分であったのであろう。水田に実った稲、あるいは脱穀場に積み上げてある稲、これらを盗み取ることそのものは容易であったにちがいない。しかし、稲穂から米を得るには彼らには、ある道具が欠けていた。それは、臼(leono)と杵(lanahazo)である。だが、この地方の人びとの生活必需品の中でも、移動生活を重ねていた二人にとって、これほど不適切な道具もない。動力脱穀機を使って精米を請け負う商売も町では多々見られ、あるいは動力脱穀機を車に載せ各村をまわる新手の商売まで現れたものの、まだ多くの村では朝な夕なに米を搗く女性の姿が日々の風景である。したがって精米された白米は村の中の各家の中にしかなく、臼と杵も持たずに逃亡生活を送るンドゥリアナーリたちが飯を食べるためには、村の家に忍び込むか襲うかの危険を犯す他はなかった。
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この事件は、実に不可思議な結末を孕んでいる。なぜならンドゥリアナーリと拉致された女性は、森の中に潜んでいるところを村人たちによって偶然発見されたわけではないからである。ンドゥリアナーリたちの方から、乾季の風を利用して牛蹄脱穀を終えた籾米を風選していた最中の村人たちの許へ突然やって来たと、乱闘の際に負傷し病院で手当を受けていた村人たちの誰もがカメラの前で証言している。その場にふらっと立ち寄った無名のよそ者ではなく、お尋ね者のンドゥリアナーリその人であることをいち早く村人によって見破られたことが、彼の誤算であった。しかしながら、それまで<呪物>の力を借りてと噂されるほど巧みにかつ用心深く森の中を逃げ回ってきたンドゥリアナーリにしては、驚くほど軽率に過ぎたこの行為。強奪するなり交換するなりの形で米を村人たちから手に入れようとしていた計画的行動なのか、それとも人恋しさに耐えかねた末の衝動的行動なのか。
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ンドゥリアナーリは、<森>を良く活用しそこを主たる生活の場としていたわけではない。彼は、<森>に身を隠しながらも、里や人家に依存し寄生しながら逃げ回っていたにすぎない。なぜならこの50年ほどの間に焼き畑や野焼きや炭焼きや木材伐採によって急速に失われあるいは灌木林と化しあるいは飛び地状に切れ切れに残されたこの地方の<森>は、もはやお尋ね者たちを抱擁する場所ですらありえなくなっているからである。そのことを、農繁期の田植え時に水田の仮小屋に居住する人たちの生活道具と限りなく類似した、かれらの持ち物とその出所が何よりも雄弁に物語っていた。
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