お尋ね者とその持ち物が語る資源 |
初出:文部科学省科学研究費・特定領域研究
「資源の分配と共有に関する人類学的統合領域の構築」 ホームページ 掲載 2003年 を一部改稿
|
1999年の乾季、マダガスカル北西部にあるアンツヒヒー県(Antsohihy)のマルクエーラ村(Marokoera)で、一人の若者が村人との大立ち回りの末に殺された。その名前を、ンドゥリアナーリ(Ndrianaly)と言う。20代後半のこの男、アンツヒヒー県から東隣のベファンドゥリアナ県(Befandriana)において複数の殺人事件を引き起こし、各県の憲兵隊から指名手配されていた。この男が殺した人は、その逃亡途中のものを含め、10人を下らないと言われる。この男の犯罪が人びとを震撼させたのは、それが単に多数の殺人事件にかかわっていたと言う理由からだけではない。ンドゥリアナーリの殺人には動機や理由がとりたててなかった、そのことの不気味さである。
一見のどかな稲作−牛牧農村地帯であるこの地方においてさえ、殺人事件や未遂事件はさほど珍しいものではない。米倉を壊して籾米を盗もうとした泥棒が村人たちに見つかり槍で刺殺された例、正月の酒に泥酔した若者複数が喧嘩してナイフで一人の首を切断した例、妻の浮気に逆上した夫がその妻を山刀で惨殺しそれに怒った村民たちがその夫を絞殺した例、墓を暴いてその中の骨を盗みだそうとした者が村人に発見され殺される寸前に逃亡した例。これらには共通に、動機や理由と言う犯人と被害者とそして自分とを隔てる確かな距離が存在する。すなわち、米や牛や遺骨を盗まなければ殺されることはなく、あるいは泥酔したり姦通を犯したり嫉妬に狂わなければ殺されることはない。ところがンドゥリアナーリは、人を殺すことそのものを、目的化し楽しんでいたとの噂がしきりであった。この男の快楽殺人癖を物語る逸話として人びとにしばしば語られた事柄は、逃亡途中で女性を拉致し連れ歩いていた彼が、時としてその女性を取り替えることがあり、そのような際ンドゥリアナーリは、これまで連れ歩いた女性と新に誘拐した女性の双方を戦わせ負けた方を殺すと言うものだった。なおかつこの指名手配犯は、親族や知人などの家を転々と移り住んでいたのではなく、文字通り<森>の中で逃亡生活を送り、その途中でさらに殺人を重ねていった。
|
この地方の人びとにとって、<森の中で>(anatin'ala)と言う表現は、単語そのもの以上の意味をもっている。<森の中の動物>(kaka anatin'ala)と言えば人に飼育されていない野生動物のことであり、このような野生動物が村(tanana)に入ってくることを場違いとして嫌い、そのような時人はその動物を殺す習慣を現在もなお保持している。<幽霊の火>(moton'dolo)は<森の中>に明滅するものであり、カラヌル(kalanoro)や<水女>(zaza vavy an-drano)など人間に非ざる妖怪が跳梁するのも、<森の中>である。昔、<悪い運命>(vintana ratsy)のもとに生まれた子供は<森の中>に遺棄され、あるいは危篤に陥った人間は<悪い森>(ampondra ratsy)に搬送されそこで最期を迎えた。そして<森の中の人>(olona anatin'ala)と言えば、家も造らずに森の中に寝起きする<野蛮人>(ny olona sauvage)あるいは追跡を逃れ人目につきにくい森を移動する牛泥棒などの<アウトロー>(jiolahy)を指す。さらに19世紀末、それまでこの地方を支配していたイメリナ(Imerina)王国軍の駐屯兵たちが、侵攻してきたフランス占領軍によって破れて遊兵と化し、その一部がマルフェーラナ(Maroferana)と呼ばれる盗賊団になったが、マルフェーラナたちは山や森に隠れ住みながらこの地方の村々を襲い牛や米を奪ったと語り伝えられる。
|
ンドゥリアナーリが犯した動機無き連続殺人は、<森の中>に入り込むだけで自分もその被害者となりあるいは殺されるかもしれないと言う、彼らのこのような<森>をめぐり醸し出される漠とした恐れないし不安の世界観と限りなく重なり合って共鳴し、それを現代に例証し正当化する性質のものに他ならなかった。私が農村で調査を行っていた際にも、それがガイジンであれ、ンドゥリアナーリが出没しているので一人で森には行かないようにと注意を促す言葉が村人たちから投げかけられた。やがて憲兵隊の度重なる追求と捜索にもかかわらずいっこうに捕縛されないンドゥリアナーリは、自分の姿を人の眼から見えなくする強力な<呪物>(aody)を所有し、<森>を自在に駆けめぐる超人的な存在へと人びとの語りの中で変貌していった。
|
しかしながら、テレビカメラが映し出した、村民に素性を見破られ大乱闘の末に殺害されたンドゥリアナーリの屍体は、この地方のごくごく普通の容貌のそして身なりはむしろお洒落と呼べるくらいの若者であった。わずかばかり頭髪が伸びていたものの髭はほとんど目立たず、長い<森>の中での逃亡生活を物語るものは、その身体に特に刻まれてはいない様子であった。上半身こそ裸であったものの、マダガスカル島の中で年平均気温の最も高いこの地方の若者たちの間では時々見かける姿である。<小さな商品(を扱う人びと)>(entan-madinika)と呼ばれる首都のアンタナナリヴからやってきたメリナ系(Merina)の商人たちがその露店や小屋掛けの仮店舗で売っているのと同じンドゥリアナーリが身につけていた半ズボンも、繕いを重ねたほどの古物ではなかった。「姿を見えなくさせるための<呪物>」と人びとによって噂され恐れられていた首にかけたニッケルか白銅でできた丸いメダルの輝きだけが、明らかにその場違いの印象を放っていた。
|