マダガスカルのことわざいろいろ 第1回 |
『マダガスカル研究懇談会会報 Serasera』第17号 pp.18-19. 所収
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マダガスカル語で「ことわざ」を、ウハブーラナ(ohabolana)と言います。ウハブーラナは、ウハチャ(ohatra)「例」・「比較」・「基準」+ヴーラナ(volana)「ことば」の二語があわさった単語です。それぞれの地域、それぞれの民族の間で、さまざまなことわざが伝えられ、今でも盛んに用いられています。ことわざには、マダガスカルの人びとの生活の機微や生き方についての哲学がよくあらわされているものとして、これまでにもキリスト教関係者をはじめ多くの研究者の注目を集めてきました。マダガスカルの人びとにとってことわざの知識は、人が集まるさまざまな機会で披露されるスピーチの中で無くてはならないものです。ですから中年の男性が、市販のことわざ集やあるいは祖父や父親が書き留めた古びたノートを紐解き、一生懸命ことわざを覚えようとする姿が、農村に限らず都会でも見られたりします。マダガスカルのことわざが醸し出す世界を、日本の人びとにも楽しんでいただくことができれば幸いです。
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Hitsikitsika tsy mandihy foana, fa ao zavatra.
出典 [J.A.Houlder, Ohabolana, 1960, Antananarivo:Trano Printy Loterana]
出典 [Abinal et Malzac, Dictionnaire Malgache-Francais, 1888, Tananarive]
Kitsikitsika tsy mandihy foana. Fa ao zavatra.
出典 [W.E.Cousins et J.Parrett, Ohabolan'ny Ntaolo, Memoires de L'Academie Malgache Fascicule XLIV, 1972, Tananarive:Imprimerie Nationale.]
Hitsikitsika tsy mandihy foana fa ao raha
出典 [Estine RINARASOA, Ohabolana Malagasy, 2006, Antananarivo:Librarie Mixte.]
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ツィミヘティ方言:Hitsikitsika tsy mandihy foana fa ao misy raha.
直訳「チョウゲンボウはただ舞っているのではありません。と言うのもそこにものがあるからです」
意訳「チョウゲンボウは意味もなく空を舞っているわけではありません。なぜなら、地上の獲物を狙っていると言う目的があるからなのです」
ことわざの意味「人が行うものごとの表面だけを見ていてはいけません。それを行う本当の理由や狙いに、注意しなければいけません」、「賢い人は、思慮無く行動することはしません。必ずある意図をもって行動するものです」
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Hitsikitsikaも kitsikitsikaも猛禽類の<マダガスカルチョウゲンボウ>を、指します。チョウゲンボウは、マダガスカル全土に分布している上、人里近くにも生息し、マダガスカル人にとってたいへんになじみの深い野鳥の一つです。マダガスカル航空の一代前のロゴマークにも、旅人の木と組み合わされたチョウゲンボウが使われ、各機体の尾翼にも描かれていましたので、まだ記憶されている方も多いことでしょう。チョウゲンボウはハヤブサの仲間ですから、その颯爽と空を飛ぶさまは、航空会社のロゴとしてふさわしいものでした。このことわざは、そのチョウゲンボウが地上の獲物である小動物や昆虫を求めて上空を羽根を広げながら飛ぶ習性から生まれています。マダガスカルの空を帆翔する猛禽類には、イメリナ王家の紋章ともなったタカをはじめトビやノスリも居り、それぞれにことわざもありますが、チョウゲンボウはこのことわざと「舞いなさい チョウゲンボウさん」(Mandihiza Rahitsikitsika)の歌と踊りで、とりわけマダガスカルの人びとにとって親しみ深い鳥となっています。
Tsyは、否定をあらわす副詞です。Mandihyは普通「踊る」と訳されますが、ここは「舞う」と訳すのがぴたりだと思います。鳥や飛行機が一直線に空を飛んでゆく場合には、misidinaないしmanidinaの単語が用いられますが、チョウゲンボウが上空で羽根を広げ滑空している様子を踊りに例えているわけですから、mandihyの語が使われることになります。Foanaは、「空の」を意味する形容詞ですが、動詞の後につくと、「意味のない行為」をあらわします。たとえば、miteniteny foana は、「意味のないことを繰り返し言う」の直訳的意味から派生して、「めちゃくちゃなことを言う」、「バカなことを言う」の意味になります。このことわざでは、「意味もなく舞っている」すなわち目的もなく飛んでいることをあらわします。Faは接続詞ですが、逆説の意味にもまた順接の意味にもなるため注意が必要です。このことわざの場合は逆説の意味ではなく、「なぜなら」と言う理由をあらわす順接の意味になります。Aoは場所をあらわす副詞ですが、「話者からは見ることのできない場所」を示します。この場合、地上に居る人からは空を舞うチョウゲンボウの姿を見ることができますが、チョウゲンボウが狙っている獲物の姿や場所を見ることはできません。ですから、eo ではなく ao が、適切な用法となります。Zavatraは一般には「物」を、ここでは獲物を意味します。
Rahaはzavatraと同じ意味ですが、非メリナ方言的な語彙になります。マダガスカル語には英語のbeやフランス語のetreに相当する動詞がありませんので、ao zavatraの二語で、「そこに物がある」と言う文章になります。ツィミヘティ方言の場合には、ao misy raha と「ある」をあらわす動詞misyを挿入することが多いようです。Aoがつかず、misy raha だけで用いられますと、「理由がある」とか「訳あり」あるいは「問題発生」の意味になります。
日本政府はいろいろな援助をマダガスカルのためにくれるねえとか、ラヴァルマナナ(Ravalomanana)大統領からTシャツをもらった安く自転車を買ったとか言ってすなおに喜んでいる人に対し、このことわざを進呈したことがあります。たいへんに有名なことわざですから、その時人はすぐにこちらの言いたいことを理解してくれました。人の行動の隠された意図に注意をうながすことわざですが、大空とチョウゲンボウの組合せのせいでしょうか、日本政府や大統領のようなとりわけ「上の人」の行動に対して用いるのがふさわしいようです。
マダガスカルの人びとの巧みな自然観察眼から生まれた、日本人にもわかりやすく覚えやすいことわざではないでしょうか。
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参考図書
Frederic & Esther RANDRIAMAMONJY, Anaran'ny Biby sy ny Zavamaniry fahita andavanandro, 1977, Antananarivo:Edisiona Salohy.
山岸哲編著 増田智久・H.ラクトゥマナナ著『マダガスカル鳥類フィールドガイド』1997,東京:海游舎
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