パーニニ、チョムスキーと生成文法のゆくえ

(c) M. Minegishi 1999
1999年8月23日から28日まで、日本言語学会主催の「夏期言語学セミナー」が開催され、私は統語論初級(郡司隆男講師)と形態論初級(影山太郎講師)を聴講させていただきました.(出張じゃなくて、休暇で自腹で行きました、念のため.)言語学で飯を食っていながら、初級の講義に出るとは、というひんしゅくを一部で買いましたが、私は主にタイ語とかカンボジア語とか、屈折も活用もない(形態論も文法もない、と表現する人もいますが)孤立語の記述研究をやっているので、初級を聴講させていただいてありがたかったです.(言語学者なら、いきなりタイ語の授業の中級に出て解る、というもんでもないでしょう.)
お二人の著書は、(全部自腹で買って、)だいたい読んでいたのですが、専門外の私から見てもすばらしいものです.最先端の研究者が初心者にどういう講義をなさるのか、楽しみにしていましたが、期待に違わず、どちらもすばらしい内容でした.
そこで、(恩を仇で返す訳じゃ決してありません)、私にできるお礼は、まあ冗談を書いて捧げるくらいのことなので、お二人とも御寛恕願います.

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(以下の文章は多少の時代、人物についての錯誤を含んでいるようです.ご注意を.)
生成文法は偉大な文法だと思います.むしろ、チョムスキー先生は偉大な文法家だというのが、より正確な表現かもしれません. 紀元前5世紀のインドの文法家パーニニは、世界で初めてサンスクリット語文法を正規表現で記述したのですが、次の3点においてチョムスキー先生に負けていました.


第1点:既に「ゼロ」の概念は生まれていましたが、まだ水牛を動力とするコンピューターが発明されておらず、正規表現によるテキスト処理がインド亜大陸「センブ(Jambu)」州ネットワーキングのシステム管理者の間で正当な評価をうけていなかったこと.
これは時代の悲劇というべきでしょうが、当時のバラモン僧の間の通信が、もっぱら念力により行われ、通信データ量、スピードなどのコストに無頓着でいられたらしいことを考えると、仕方なかったのかもしれません.
第2点:自身バラモン僧であったパーニニは、現実世界の全てが /[(au)-\d{m}]/という正規表現に縮約されることを既に師から学び、その知識に満足していたので、自らの思索の対象をサンスクリットという個別言語の研究に限定し、お米とヨーグルト、バター油の食事で菜食主義者として清く正しい生涯を終えました.
もちろんお酒なんか口にしませんでした.
また、後世のインドの文法家はパーニニ師の偉大さを理解し、その教えに全面的に従ったため、食生活においても師を凌駕しようなどと考える物質主義者はキパルスキーを除いて存在しませんでした.
第3点:簡潔を旨とするパーニニは、(自分の学問の解説書など書いて儲けようとは思わなかったので、)業績は一本だけでした.
彼は獲得した知識を、インドの伝統に従って口伝としたため、論文の著作権を得ることができず、Bibliographie linguistique de l'annee にも名前を残すことができませんでした.


また、Census of India によれば、インドにおけるサンスクリット語の話し手は、1981年現在、2946人という限られた人数となってしまいました.そのため、サンスクリット語教師は職を失い、運良く大学に就職できた者も、物価高のため良質のバターを手に入れられずに頭を痛めています.長期的視点からは、これは政治的失敗といえるかもしれません.
このようなパーニニの業績と人生から、我々が学びうる教訓は、以下のようなことではないでしょうか.
パーニニは、個別言語の業績を、彼の思考を理解できる、ごく限られた極めて優秀な人々にしか解らない形で伝えました.現代社会では、ある研究分野を学問として確立するには、その分野の1パーセントの優秀な人間が、新しいアイデアを出し、その研究分野の必要性を世間にアピールするだけではいけません. 残る99パーセントの凡庸な人間にも、一定の語彙と文法を提供して、論文を書かせ、ご飯が食べられるようにしなければ、分野として成立しないわけです.こういうのを「捨て石」というのでしょうか.
なにしろ現代社会では、お米とヨーグルト、バター以外にも、我々に必要なものが沢山あるように見えます.本当は我々に必要なものなど、真剣に検討すればごく僅かなものに違いないのですが、真理の追究よりも、豊かな生活に目が向く99パーセントの人間を引きつけなければ、そもそも学問として成立しません.いくら優秀でも、仲良しの二人だけでは学会が成立せず、学会誌も出せないのですから.
つまり、現代社会で研究者がのうのうと暮らすためには、研究をビジネスとしても確立しなければなりません.
この点で、米国内外の沢山の英文学研究者を「言語学者」に仕立て上げ、留学費用と文学以外の本も買えるくらいのお金をばらまいた、チョムスキー先生の偉大さが改めて浮かび上がってきます.「内省」を手段とすることにお墨付きを与えるなんて、対投資効率を考えれば、コストゼロで何かを産み出すのですから、こんなに効率的な研究はありません.
チョムスキー後が迫っている今、言語学者は道しるべを失って右往左往するのでしょうか?
少しは自分の頭で悩む習慣をつけたほうが、次の時代の発展のためには有益かと思いますが、ここまで読んでこられた方には、もう次の時代への流れが見て取れることと思います.
それは「お金儲け」です.
かつては清い「精神の糧」、あるいはそのなれの果てとしての「好事家のおもちゃ」にすぎなかった言語学は、偉大なチョムスキー先生の力によって、なんとか中小ビジネスになりました. ただ、現在の事業規模としては、文学部の片隅で、お情けで実験講座化してもらっているに過ぎず、経済的には駅前のタコ焼き屋とたいして規模が変わりません. それではどこに目を向けるか、です.ちょっと視野を広げてみると、通産省には人工知能、自然言語処理、自動翻訳、認知科学など、数百億円の予算を投下しながら、全然成果を問われない研究分野が沢山あります.うそだと思うなら、「第五世代コンピュータの研究は成果が上がったんですか?」と関係者に聞いてごらんなさい.「あれは成功でした.だってあなただって「第五世代コンピュータ」という言葉を覚えてるじゃありませんか.他の研究テーマは名前さえ誰も覚えてないんですよ.」という答えが返ってきます. 通産省の研究費はけちな文部省予算とは規模が違います.文部省の補助金は、額が少ない割には地道な成果を問われる、ということもあわせて考えると、我々の取るべき道は、言語学の研究が、このような「有益な(予算が高額だという意味ですが)」研究には不可欠だと主張しつつ、まっとうな研究を維持できるお金を作ることでしょう.こういった賭博性が、言語学の将来のためには必要だと思います.