「水語」

『しにか』(1997年2月号 pp.96--97. 1997.2.1.大修館書店)所収

(c) 峰岸真琴 Minegishi, Makoto 1997.

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貴州省は多様な少数民族の住む地域として知られており、省東南部にある三都水族自治県とその周辺には現在約35万人の水族が在住している.水稲栽培を主な生業とし、山あいの狭い土地のみならず、山頂までを木製の鋤で耕す水族は勤勉ではあるけれど、経済的に恵まれた環境にはない.

タイ系諸言語は元来が雲南省あたりからメコン川、メナム川に沿って南下したものと考えられ、現在は主として東南アジアのタイやラオスに分布している. 水語はタイ系言語としてはトン語と並んでもっとも北方に位置する言語であり、東南アジアや雲南のダイ語とはかなり異なった言葉と文化を持っている.たとえば雲南のダイ族は、特に北タイやラオスの言葉に似た言葉と文字を使い、上座仏教を信仰するが、水族は自然信仰で、上座仏教に代表されるインド文明の影響を受けていない.また言語的にも水語はダイ語、トン語とも、相互には通じないほどに大きく異なっている.

水語の語順は「主語+動詞+補語」、「被修飾語+修飾語」で、これは多くのタイ系諸言語に共通するものである.水語の際立った特徴は語頭子音の発音にある.特に語頭の鼻音に有声系、無声系のほかに、咽頭化を伴う鼻音(通常声門閉鎖音との組み合わせで表記されているもの)の3つの系列があるのは、タイ系諸言語のなかでも珍しい.

現在のタイ語の正書法では、かつてのタイ語にもこの3つめの系列の発音を示すような、発音されない声門閉鎖子音字や h が書かれる場合があることを考えあわせると、ますます興味深い.

水語には水書と呼ばれる文字があり、水書先生と呼ばれる専門家がこれを使って占いをするが、現在では水書をきちんと読める人はごく少数である.写真で示すように、最近出版された「水書」(王品魁訳注、貴州民族出版社、1994年)を見る限りでは、漢字を反転、改変したものに、象形的図形を織り混ぜたもので、字と音がきちんと対応するものではなく、文字というより、占いのための心覚えのようなものに見える.

水族は漢文化の影響を受けつつあるとはいえ、独自の文化を保持している.特徴的な行事として最大の祭りである端節の競馬がある.収穫の終わった11月初めに端節を迎えると、華やかに着飾った男女が馬車やトラクター、あるいは徒歩で、決められた丘へと集まる.

競馬といっても山あいの丘であるから、立派な競馬場があるわけではない.体の軽い子供や若者が、裸馬に乗り、トコトコと丘を下ってゆき、低いところにあるスタート地点に着くと、一転して次々と全速力で丘を駆け上ってゆくのが準備運動である.本番の競争も坂道を駆け上がる一方通行で行われる.

観客の興奮は、おおかた賭け事で煽られているのであろうが、競馬の後の「歌垣」へと持ち越される.そう、端節は競馬だけでなく、着飾った若い男女が伴侶を見つける場でもある.もっとも、即興で情感を歌に託せた世代は既に老いてしまい、最近の若い男達は自作の歌ではなく、乾電池駆動のラジオカセットを振りかざし、大音量の流行歌をテープで娘に聞かせて愛をささやくのが流行である.