平成8年度第4回研究会
 

1996年11月15日(金)

AA研大会議室

1.吉田敏浩(ジャーナリスト)

2.石川 登(京都大学東南アジア研究センター)
 

1.「ビルマ辺境,多民族世界の移動と越境と交流」

 報告者の吉田敏浩氏は,著書『森の回廊---ビルマ辺境民族解放区の1300日』(1995年)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した気鋭のジャーナリストである。この研究会においても,同著の基となった1985年から88年にかけてのビルマ北部および東北部 (カチン州・シャン州・カヤー州)における取材と調査に基づく,興味深い報告を行った。
 報告の中では,カチン人の伝統である氏族の絆の網の目が,国境を越えて広がっていること,シャン人の村で開かれる五日市や仏教の祭りにも,国境を越えて人々が集まること,また各国(中国・インド・タイなど)の政治情勢に応じて生まれる難民やゲリラ・亡命者などが,それぞれ同族を頼って越境するなどの事例が語られ,さらに,宝石などの密輸に象徴される国境交易の事例も紹介された。
 こうした国境を越えた人の移動・交流にともない,さまざまな文化や技術・情報・思想が伝わってゆき,その一例として,ビルマ共産党がビルマ辺境の諸民族社会に与えた衝撃と混乱(集団農業の導入や宗教の抑圧など)が挙げられ,説明がなされた。
 吉田氏によれば,こうしたビルマ辺境地帯の国境を越えて広がる「多民族世界」では,人々は国境・国家の枠組みに取り巻かれながらも,その制度の網の目にからめとられることはないという。「辺境」とは国家の中央が作り出したものにすぎず,そこに住む人々にとっては世界の「中心」とみなされてきたのではないか,と氏は解釈する。そして,そこに住む人々は,現在の国民国家というものを絶対化せず(すなわち永遠に続くものとはとらえず),多様性を所与のものとみなし,国際感覚ではなく「民際感覚」を抱き,パスポートやヴィザといった国境の制度にとらわれない,広く連続した世界観を持っていると結論する。
 だが,一方で,ラングーンの軍事政権が武力で中央集権支配や経済開発路線を押し進め,また隣接各国も国民統合政策を進める中,報告者は,その影響が「多民族世界」の中に自然に見られる移動・越境・相互交流の在り方を変容させていく可能性があることもつけ加えた。 (根本 敬)

2.「サラワク/西カリマンタン国境地帯における国家および民族の生成:マレー農村史からの考察」

 石川氏の報告は,サラワク・マレーの民族範疇の生成と,サラワク/西カリマンタン国境地帯における少数派マレー農民の民族的周縁化の二点を論じたものである。すなわち,国家の生成と民族範疇の周縁化ならびに民族範疇の中での成層と階層化を,「中心」ではなく「周縁」から見ていく試みであるといえる。
 氏が選んだのは東マレーシア・サラワク州のテロック・ムラノー村と,インドネシア・カリマンタン西北部に位置するスムドゥン村という,ほぼ国境を接したボルネオ島の二つの村である。この村レヴェルでのミクロな考察を基に,その視野をサラワク州第一省ルンドゥ地区,および西カリマンタン・サンバス地区に広げ,さらにサラワクとマレーシア連邦,およびサンバスとインドネシア共和国という国家レヴェルにまで拡大している。
 サラワク・マレーに関し,氏は「中央の語り」(ダトゥ・ムラパティの起源説話)と「周縁の語り」(テロック・ムラノーの農民に関するクチン・マレーの語り)の紹介から始め,詳細な村落史の分析を行ったあと,同村の農民に関する言説に見られる二つの社会的位相のずれを明示した。そこでは植民地期の白人王ブルックによる経済政策がもたらした農業労働力の動員と組織化や,経済単位としての国家の成立がもたらした影響が論じられ,テロック・ムラノーの農民が国家経済のシステムの周縁に位置づけられていくのと共に,マレー民族の範疇の周縁および国民国家マレーシアの周縁にも位置づけられていったことが指摘された。綿密なフィールドワークを想像させる内容の濃い報告であった。 (根本 敬)

 

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