平成8年度第3回研究会

1996年10月25日(金)

AA研大会議室

1.坪井善明(北海道大学)

2.清水 展(九州大学)
 

1.「アジアの挑戦:ヨーロッパの相対化」

 坪井氏の報告は,アジア研究のありかたを広い視野から反省・展望することを主眼としていた。植民地時代から現代に至るまで,(1)停滞するアジア,(2)抵抗するアジア,(3)独立するアジア,(4)繁栄するアジア,(5)民主化するアジア,というようにアジアのイメージは変遷してきた。このようなアジアが欧米に対して示した態度として典型的なものは,迎合(欧米のコピー,従属路線)や反発(リー・クアン・ユーやマハティール)に加えて最近注目すべきものは,フュージョン(fusion)というべき姿勢である(ジャズ・セッションに比喩される)。
 学問研究のありかたとして,新しい普遍主義の構築を念頭におく。すなわち,普遍にいたる道は多様であってよいし,その(普遍)形態もいろいろであってよい,という態度である。そのためには,戦略的にa大文明,b統治装置,c庶民の日常生活,の三つのレベルを区別したうえで,適当なアプローチを求めるのがよい。そして,研究者の課題として提唱したいのが,(1)より精度の高い比較研究,(2)国境を越えた研究のネットワークの形成,(3)分析だけでなく総合も進める,(4)アジア人の生活感覚を普遍的な理論のレベルで語れる言語体系の構築,である。
 坪井報告の大きな問題提起に対して,討論されたのは,普遍主義というものへの対処の仕方,「アジア」概念を提示する意味,そして新たな「文化の創造」の可能性などの問題であった。また,近代国家が国境を越えた「人の移動」を阻害しつつ国内を囲い込み均質化するという現象の一方で,国境と関わりない広域的な消費文化の形成といった動きもあることが指摘された。 (吉澤誠一郎)
 

2.「ピナトゥボ噴火とアエタの生存戦略」

 清水氏は,1991年のピナトゥボ火山の噴火によって被災したアエタの人々の生存戦略とそれに関わるフィリピン社会や自己のありかたを報告のテーマとした。
 噴火によって従来の居住地を失ったアエタは,政府が彼らのために設けた再定住地にまず移ったが,そこから山に戻り焼畑を再開する者もいれば,再定住地を基点に,平地民社会に依存しつつ雑業・賃労働に従事するようになった者もいた。また自分達で再定住地を選択して造成を施し農業による自立をめざすグループも一定の成功を収めた。
 この噴火による移動・離散は,アエタに共通の被災・受難体験を与え,他方で,平地民や政府・NGO関係者との濃密な接触をもたらした。その過程で民族意識が覚醒されてきたが,それは生存戦略と密接に関わる戦略的エッセンシャリズムとでも言うべきものであった。例えば,弓矢や吹き矢を作り売りあるいたり,クリスマスにマニラに大挙物乞いに出かけたりするのは,フィリピン社会の偏見と憐憫を逆手にとった行動と理解される。また先住民の土地に対する権利という論理も,新たな民族的自意識の表れと言える。
 このような清水報告に対しては,アエタ意識の強化・創出の理解のしかた,望郷の語りの意味,フィリピン人意識や平地民とアエタとの関係・境界の問題などが議論された。このような被災を契機とする「人の移動」に対して,アエタらしさの強調,NGO等と交渉する住民団体の形成といった「文化の創造」がみられたことも指摘された。 (吉澤誠一郎)

  

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