平成8年度第1回研究会

月日:1996年5月17日

場所:AA研大会議室

第1報告

宮崎恒二「プロジェクト趣旨説明」

 今日の東南アジアにおいて顕著な現象、たとえば国民国家への統合、少数者集団の民族意識の高揚、消費文化の広がり、宗教的・文化的な原理主義の台頭、さらには都市のコスモポリタン化とその内部での同郷人ネットワークの展開などは、既存の集団やアイデンティティが変形され、再編成が進みつつある過程と見ることができる。これらの現象を、現代の東南アジアにおいて顕著なもう一つの現象、すなわち人の移動との関連で捉えようというのが、このプロジェクトのねらいである。様々な形態、規模で移動する労働者、旅行者、巡礼などは必然的に人々の接触を引き起こす、さらには画一化と個別化の両方向から、文化を創造し、破壊し、また変形する。すなわち、人が境界を越えて動くことによって、世界が揺り動かされているとという視点から東南アジアを眺めようというものである。
 人の移動自体は現代の東南アジアに固有な現象ではない。しかし、現在、驚異的な経済発展とも相侯って最もダイナミックに映ずる東南アジアが、歴史的にも過去阿世紀にも渡る人の移動により、幾多の接触を重ねてきたことを考え合わせれば、この地域は人の移動と文化の関係を考えるのに適した地域といえよう。現代的な現象から出発し、歴史をも人の移動から捉え直すという視点の確立も、このプロジェクトのねらいである。さらに、現代と過去を視野に収めた上で、今後、東南アジアにおいてどのような文化が形成されうるのか、という問題をも考えていきたい。
 上記のような趣旨説明に対し、グローバライゼイションとナショナライゼイション、ローカライゼイションが同時進行しているのが東南アジアの地域的特性である(東京大・山下氏)、とりわけ現代にあっては人の移動よりも情報の伝達が重要である(京都大・加藤氏)、文化の創造における作為的な側面を強調するのか(鹿児島大・青山氏)な数多くの貴重な意見が出された。

第2報告

三尾裕子「ケーススタディ:東南アジアにおける華人の移住と文化形成」

 本発表では、宮崎による本プロジェクトの趣旨説明を受けて、東南アジアにおいてユダヤ人のディアスポラとも比肩しうる華人(ここでは、中国系住民全体を指すものとする)を例に、次の3点について考察した。第1点は、華人の移動の舞台を考えたとき、東南アジアはどのような特徴があるか、また、東南アジアを舞台として設定する必然性はあるか、第2点は、華人に関して人の移動こそが、他の要素の移動(つまり、ものや情報などの移動)と異なって文化を創造すると言えるか、第3点は、現代において、華人の移動を特に問題にする意味はどこにあるのか、即ち、華人の移動の歴史の中で、現代的な特色はどこにあるのか、という点である。以下、この順に簡単に要点を記せば、以下の通りである。
 第1点について:華人の移動の舞台として東南アジアは、他の地域とは異なる特色を有している。即ち、中国と東南アジアの交流は、国家レベルでの朝貢関係、商人による通商、政治的・経済的難民の移動という形で、古くから行われてきた。本格的な大量移民が始まったのが植民地期(19世紀後半)だとしても、東商アジアは既に中国との長い交流により、中国文化と接していた。さらに、中国からの大量移民が流出するようになってからも、他の地域と比べて東南アジアヘ流出する人口は多く、渡航先の人口構成を極端に変えることになった。また、経済的な面では、東南アジアの華人は、他地域と比べ、渡航先の経済に与える影響力が強いなど、華人の移動の舞台としての東南アジアは、他地域とは比較にならない重要性を持っている。
 第2点について:人の移動が他の要素の移動と違う点は、移動する主体が「意志」を持っているという点であろう。このことを考えれば、人の移動がもたらす文化の創造は、移動主体の移動もしくは移住、移民に対する認識に左右される部分が大きいと言えるだろう。また、そうした主体を送り出したり、受け入れたりする側の意識も考慮に入れなければならない。華人の移動・移民についての認識は、儒教的な倫理観故にネガティブになりやすい。即ち、故郷を離れ、老親・祖先のケアを怠る事への否定的な捉え方である。また、近い故郷としての親が住み近い世代の祖先が祭られている地、また遠い故地としての中原という2つの地への回帰願望が、2つの故郷の文化への愛着となる。しかし、上記の回帰指向は、逆説的ながら、現実の社会生活についてのプラクテイカルな対応、即ち渡航先社会の社会制度、文化への積極的な適応を生み出すと言える。即ち、いずれ故郷に錦を飾るという仮住まいの意識、理想型としての中華文化を心の底に保持し続けているという意識が、現実社会への一時的な適応として、渡航先社会の文化への適応という形で表れると考えられる。東南アジアにおけるプラナカン文化、華人がマレー的な精霊信仰を受け入れるといったことはその例と考えられよう。送り出す側、受け入れる側の意識という点では、特に近代以前と以降(国境が確定される植民地期を分かれ目とする)、また、中国の内政・外交政策の変化、東南アジア諸国の急速な経済発展が見られるようになってから以降など、様々な時期において異なる反応が見られるため、それぞれの時期を分けて考察することが肝要であると指摘した。
 第3点について:昨今の東南アジアの経済発展は、華人の各国内部での位置づけの変化をもたらしていると思われる。従来は、現地社会では、華人はとかく定住指向を持たず、経済的な利益を上げることに専心していると見なされがちであったが、現地国籍をとり、現地国家の経済発展に寄与してきたことが認められるようになり、また東南アジア諸国が経済発展の結果、国家としての自信を深めるにつれ、華人への風当たりも柔らかなものになっている。また、現地国家のナショル・アイデンティティ構築の上でも、次第に多元文化主義が認められるようになってきている。このような中で、華人は華人としてのアイデンティティを様々な形で表にするようになってきている。その例としては、たとえば、同郷、同姓といったつながりを通して世界中の華人を結ぼうとする世界規模のネットワーク作りや、方言や国の壁を乗り越えて中国系の人々が伝統的中華文化を継承しようと交流を始めるシンガポール道教総会の試みなどが挙げられる。以上の報告に対し、様々な質問、コメントが寄せられた。何人かの方には時間の関係で詳しく述べることができなかった背景説明を補足していただいた(静岡県立大学田中恭子氏、南山大学吉原和男氏)。その他、華人の移住に対する認識を、儒教という大伝統的な観念論で総括することへのご批判(国立民族学博物館田村氏)、中国系住民を表す用語の変遷と華人移住の歴史的考察の必要性のご指摘(天理大学弘末氏)、昨今の華人文化が北米では伝統回帰というよりは、伝統でもない西洋文化そのものでもない新しい中国系文化として立ち現れているといったご指摘(同志社大学森川氏)など、有意義なコメントをいただいた。

(三尾裕子)

 
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