Column034 :: Ishikawa Hiroki's HP

アニメへの驚嘆、電脳化への憧憬~そして新たなる人生への誓い~


 1979年にテレビで放映が開始されたアニメ番組『機動戦士ガンダム』を少年の頃に見て育った世代を「ガンダム世代」と呼ぶ。1973年生まれであるので、私もその一員ということになる。

 低学年の頃の記憶は定かではないが、高学年ともなると、小学校の級友たちはテレビアニメに夢中になり、よくそれらの話をしていた。「2月1日に祈る~中学受験への思い~」書いたとおり、私は小学校3年生の終わりから中学受験のための塾通いを始めており、テレビを見る時間もなかった。そのため私は彼らの話についていけなかったものの、そのために疎外感を覚えたり、不自由な思いをすることはなかった。数少ない中学受験組であった私は、そもそもクラスのなかで一風変わった存在として浮いていたためである。

 年齢のわりに大人びていた私が、小学生にしてすでに歴史に関心を持ち始めていたこともアニメを遠ざけていた。現実の歴史の奥深さや不可思議さに惹かれ始めていた私は、人間がつくりだした架空の世界に子どもらしく夢中になることはできなかった。中学生になるとその傾向はますます強くなっていった。

 無論私もアニメと全く縁がなかったわけではない。時間があるときにテレビで見ることはあったし、週末にスタジオ・ジブリの作品が放映されれば、必ずと言ってよいほど見ていた。また一般常識として、社会現象になるほどヒットしているアニメについての情報、あるいは日本のアニメが「ジャパニメーション」として世界的な評価を受けていることなども知っていた。しかし私にとってアニメが熱中するほどのものではなかったことは確かである。

 そのようにアニメと縁遠い生活を送ってきた私がアニメに関心を持つようになったのは、一人暮らしを始めた際にケーブルテレビに加入したことがきっかけであった。私は教材として衛星放送のニュースやドキュメンタリーをよく利用するが、入居した物件では衛星放送を受信するためにケーブルテレビに加入する必要があった。海外のドキュメンタリー番組を専門に扱うチャンネルを視聴するために契約したプランには、アニメを専門に放送するチャンネルも含まれていた。

 私が子どもの頃は録画機材もなく、毎週決まった時間の放映を見逃すと、その回を見るためにはいつになるか分からない再放送を待つしかなかった。またアニメの世界観や登場人物の設定を簡単に調べられるような手段はなく、それらは継続して見続けて理解するしかなかった。そのためアニメの内容を把握することはなかなか難しかった。

 しかしケーブルテレビのアニメ専門チャンネルでは、「名作」と呼ばれるアニメが繰り返し放映されていた。DVDレコーダーで録画しておけば見逃す心配もない。またインターネットで検索すれば、アニメのストーリー、登場人物、世界観、用語その他について恐ろしく詳しい解説を読むことができるようになっていた。このような環境の変化によって、1つの作品を連続して視聴すること、そしてその内容を理解することは、私が子どもの頃に比べてはるかに容易になっていた。

 そのようにして遅まきながらアニメの世界に足を踏み入れた私は、奥深いストーリーや世界観を持つアニメがあることを徐々に学んでいった。そして世間で「名作」と呼ばれる作品のなかに「確かにこれは名作だ」とうなってしまうような作品が多々あることを知った。そのなかで私が最も魅了された作品が『攻殻機動隊』であった。

 『攻殻機動隊』は1989年に連載が始まり、1995年に劇場版が公開され、2002年にテレビアニメ版の放映が開始された。世界的に大きな反響を呼び、映画『マトリックス』にも多大な影響が与えたこの作品の内容は概ね以下のようなものである。

 舞台は科学技術が飛躍的に発達した2020年代末から30年代の日本。そこでは人間の脳にマイクロマシン(超小型機械)を注入し、インターネットに直接アクセスする「電脳化」技術が確立している。またロボット技術の進化によって、手足にとどまらず、全身を機械化する「義体化」技術も普及している。その結果、生身の人間、一部義体化した人間、完全に義体化した人間に加え、人間と見分けがつかないほど精巧な人間型ロボット、自我が芽生えるほど高度な人工知能を持つロボットなどが社会に混在するようになっている。そのような社会において発生する重大犯罪を事前に察知し、被害を最小限に防ぐために内務省内に設けられた特殊機関が「公安9課」、通称「攻殻機動隊」である。主人公の草薙素子をはじめとする公安9課のメンバーは、重大事件に直面しつつその解決のために苦闘を続ける……

 『攻殻機動隊』という作品について、初めて知ったのは10年以上前であったと思う。「近未来の情報化社会を舞台にしたアニメで、アメリカをはじめとして世界的に高い評価を受けている」ということを知って興味を持ったこと、断続的に何話かを見て「複雑な内容を含み、理解が難しいアニメ」という印象を受けたことを覚えている。

 ケーブルテレビを契約して、しばしば放映される『攻殻機動隊』をよく見るようになった私は、その魅力に引きこまれていった。そしてインターネットでその世界観や登場人物を調べるようになり、ますます魅了されていった。しかしその一方で『攻殻機動隊』に描かれる電脳化世界は、未だケーブルで接続されたパソコンを用いてインターネットをしていた私にとってぴんとこないものであった。

 それから数年が経過し、私はあることに気づいて愕然とした。その日私は出張先で急な業務に対応しなければならなくなり、スマートフォンでメールを確認したり、情報を検索したりして、関係者に連絡をしていた。そしてスマートフォンを操作しながら、ふと「『攻殻機動隊』の世界のように電脳化していたら、携帯情報端末など使わずに、いつでも簡単に無線通信を行うことができて便利だろうな。電脳化したいな」と考えている自分に気づいたのである。

 スマートフォンという携帯情報端末が日常生活に欠かせないものとなって初めて、私は電脳化というものを実感した。そして未だ商用インターネットが実用化されていなかった1980年代に、高度情報化社会とそこで起こる問題を予期して『攻殻機動隊』を生み出した士郎正宗氏の先見の明に私は驚嘆した。それとともに、この作品が秘める可能性を見抜き、アニメ化して世に知らしめた押井学監督をはじめとする日本のアニメクリエーターたちの底知れない力量にも舌を巻いた。

 このような先見性と並んで『攻殻機動隊』を奥深い作品にしているのは、人間の存在に関する深遠な問いを見る者に投げかけていることであろう。人体の機械化技術や人工知能が高度に発達し、記憶でさえも外部から操作することが可能になっている『攻殻機動隊』の世界において、「人間を人間たらしめるものとは何か」という問いが持つ意味は極めて重い。特に草薙素子のような完全義体化した人間にとって、この問いは切実である。その切実さを、私はまだ肌で感じることができない。しかし電脳化という未来を体感したのと同様に、その切実さを実感する時代がすぐそこまで迫っていることは理解できる。

 含蓄に富む台詞が各所にちりばめられていることも『攻殻機動隊』の重要な魅力である。その中の1つに「未成熟な人間の特徴は理想のために高貴なる死を選ぼうとする点にある。それに反して成熟した人間は理想のために卑小なる生を選ぼうとする点にある」というものがある。これはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の台詞を引用したものである。『攻殻機動隊』では、「電脳硬化症」という難病をめぐる薬害事件を告発しようとして、世間を揺るがす大事件を起こした青年との対話のなかで、草薙素子がこの台詞を口にする。

 『ライ麦畑でつかまえて』は中学生か高校生の頃に読んだ気がするが、この台詞に強い印象を受けた記憶はない。しかしケーブルテレビで『攻殻機動隊』を見ていてこの台詞を聞いたとき、深く心に響くものがあった。その頃の私は「高貴なる死」と「卑小なる生」であれば、躊躇うことなく前者を選んでいた。「選ばざるを得なかった」と書く方が正確かもしれない。

 しかしその後、環境の変化のなかで、私自身の心境も変化した。それが成熟とまで言えるものであるかどうか分からない。しかし現在の私は「高貴なる死」と「卑小なる生」であれば、躊躇うことなく後者を選ぶ。

 これからさらなる変化を経て、いつか『攻殻機動隊』に描かれたような社会が到来するであろう。それがいつになろうとも、理想のために、これからの人生を一歩一歩大切に歩んでいくことを、人生の重要な節目となった今日誓おうと思う。

2014年11月1日




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現在使用しているスマートフォン。このような携帯情報端末を使用していたことを驚きを持って思い返す未来はすぐそこなのかもしれない。

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