Column031 :: Ishikawa Hiroki's HP

神は細部に宿り給い、猫は狭いところで眠り給う~幸せと猫について語る~


 猫と犬にまつわる次のような小話がある。猫と犬の性格、そしてそれぞれの愛され方の違いをよく表した深遠な小話であるように思う。

 犬
 この家の人たちは、餌をくれるし、愛してくれるし、
 気持ちのいい暖かいすみかを提供してくれるし、
 可愛がってくれるし、よく世話をしてくれる……
 この家の人たちは神に違いない!

 猫
 この家の人たちは、餌をくれるし、愛してくれるし、
 気持ちのいい暖かいすみかを提供してくれるし、
 可愛がってくれるし、よく世話をしてくれる……
 自分は神に違いない!



 実家では猫を1匹飼っている。

 その猫は姉が飼っていた猫のつがいの間に生まれた子であったが、生まれつき後ろ足が2本とも膝下で曲がっていた。同じときに生まれた他の子猫たちが次々に引き取られていくなか、姉はその子猫を手元に置いて最期まで面倒をみるか、飼うことを希望する人に引き取ってもらうか考えあぐねていた。それを聞いた父は「そのような子をほかにやるわけにはいかないだろう」と言い、母も私も賛成して、その猫を飼うことになった。

 歩けるようになるかどうかも分からなかったその猫に、姉は「歩けるようになってほしい」という願いをこめ、「アユミ」という名前をつけた。省略して「アユ」と呼ばれるようになったその猫は、赤ちゃんが「はいはい」をするような格好で歩いた。膝が床に接してすりむけることを心配した母はガーゼや毛糸で膝あてをつくってはかせた。しかしその度にアユはいやがってとってしまった。

 はかせてはとり、とってははかせることを続けているうちに、アユは歩くコツを覚え、膝の心配をする必要はなくなった。さらには「よく足がからまないものだ」と思うようなスピードで走り回るようにもなった。「足のほかに体の中にも何か問題があるかもしれないから、長生きは望めないだろう」というこちらの心配をよそに、アユは元気に成長した。体が大きくなると、階段を1段ずつ昇ることもできるようになった。

 アユは毎朝朝食を食べ終わると、階段を昇って2階にある私の部屋に来るようになった。そして「ニャーニャー」と鳴き、自分では昇ることができないベッドにあげてくれとせがんだ。その声に起こされた私がベッドの上にあげてやると、アユはひとしきり毛づくろいをした後、自分の重みでできた羽毛布団の狭いくぼみに身を落ち着かせ、日がな一日そこで気ままに過ごした。それを横目で眺めつつ、史料を調べたり、原稿を書いたりするのが私の日課となった。

 「研究者として『容疑者Xの献身』に涙する」に書いたとおり、その頃の私はいつ報われるともしれない努力を続けていた。家族にも打ち明けることができない悩みを抱え、自分の存在に疑問を抱きながら、それでもなお研究に取り組まなければならなかった私にとって、アユの存在は救いであった。

 「神は細部に宿り給う」という言葉がある。この言葉は誰の言葉であるのかよく分からないものであるらしい。「自分が行っている限られた分野の研究のなかにも、何か真理がこめられている、いやこめられていてほしい」と願う研究者にとって、たとえ誰が言ったにせよこの言葉は心に響くものである。

 「幸せは日常の中にある」という言葉もある。この言葉も誰の言葉であるのかよく分からないものであるらしい。はっきりと幸せを感じるときに幸せであることはもちろんであるが、日常の中でささやかな幸せを感じているときもかけがえのない幸せなときであるらしい。

 私はキリスト教徒ではないが、しばしば研究のために聖書を手に取る。数多くのエピソードのなかで、「しるしを見せてください」とせまる人びとをイエスが諭す場面は特に印象深い。確かに人というものは、はっきりとしたしるしを求めるものである。しかし本当に大事なものは、微細なところにささやかに秘められているものなのかもしれない。

 今でも実家に帰ると、アユは私の足元にやってきて「ニャーニャー」と鳴き、膝のうえにのせてくれとせがむ。私はアユを膝のうえにのせ、時間の許すかぎり、気ままにさせる。

 アユはもう十分長生きしてくれたし、何があっても後悔しないぐらい十分かわいがったとも思う。しかし、それでもなお、アユがいなくなってしまったら、悲嘆のあまり私は何も書けなくなるだろう。だからまだアユが元気なうちに書いておこうと思う。あの苦しい日々のなか、ささやかな幸せを与えてくれたアユへの感謝の気持ちを私は一生忘れないということを。

2013年10月5日


*アユが2014年7月26日に永眠しました。1週間前にこのコラムを読んで聞かせ、お礼を言ったばかりでした。最期は眠るように息を引き取ったそうです。不自由な体であったにもかかわらず、長生きをしてくれました。最後のお別れもさせてくれました。アユと出会えて幸せでした。




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膝のうえでくつろぐアユ。12歳になったものの性格は子猫のときのままである。

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