チベット暦5月の行事

文:星実千代

 

 チベット暦の5月には、気温も高くなり、麦が勢いよく伸び始める。作物の成育には適量の雨が欲しい時期であるが、このころはしばしば日照りが続き、病虫害発生の危険もある。農民にとっては、神にすがりたくなる時期であるようだ。

 5月の行事には、農民による畑巡りチューコーと、僧俗あらゆる階層の人々によって行われる夏の神供養ヤースー、ザムリン・チサンがある。

チューコーchos skor)「畑巡り」

 大蔵経など仏典を背負った農民たちが行列して、村の畑の外縁をまわり、麦などの作物の順調な成育を祈願する儀礼である。

 畑巡りには、身心に欠陥のない若い女性が望ましいとされているので、不在地主も含め村に耕地を所有する全ての家から、耕地面積に応じた数の女性が出る。適当な女性がいない家では、つてを求めたり、賃金で傭うなどしてなるべく若い女性に参加してもらう。

 儀式の日取りは、地主の執事シーニェルgzhis gnyer)や村役ゲンポrgan po)らが相談して、5月上旬の吉日を選ぶ。

 畑巡りに出る女たちは、前日、いつもはめったに洗わない髪を洗い、当日の早朝、顔と手を入念に洗って身の汚れを払う。それから晴着を着て、絹地のふろしきに包んだ仏典を背負い、日の出まえに村一番の大地主の屋敷に集合する。ふろしきには、色とりどりの美しい布が女たちの背中を覆うように縫いつけられている。この布は女たちがそれぞれの町の端切屋を何軒も物色するなど苦心して手に入れた自慢の布である。

 行列の先頭には、雨や雷など天候を支配する力を持つとされる男性の呪術師ガンジャンsngangs'changs)が立つ。続いてパオdpa' bo)とパモdpa' mo)と呼ばれる10歳前後の心身に欠陥のない美しい男の子と女の子が、神の衣装をつけて従う。その後に仏典を背負った女たちの行列のところどころに、大きな旗をつけた竿を持つ男性とほら貝を吹く男性が入り、行列の両脇には、香炉を持つ男性数名と馬に乗った地主の家の男性2名が立つ。

 一行は畑のまわりを右まわりにまわりながら、仏陀や作物の守護者とみなされている龍神や土地神を喜ばせる歌をうたい、作物の順調な成育を願う。他の村人たちはそれを見守るが、行列が自分の家の前を通る時、屋上に上って燻香を焚き、神に供養する。一巡して再びもとの地主の屋敷に戻ると、一行は屋敷内にある祠の前に整列し、神仏の加護を願う歌をうたい、踊りをおどる。屋上からはトゥンチェンdung chen)、ギャリンrgya gling)などの金管楽器が吹き鳴らされる。この間、屋敷近くの柳の林に近在の寺の僧侶たちが寄り集まって経典を読誦し、金管楽器を演奏する。

 儀式が終わると、柳の林のあちこちで、気心の知れた家族同士が茶や酒、食物を持ち寄り酒宴をひらく。やがて気分が盛りあがると、村中で歌い踊る歌垣がくりひろげられる。

 畑巡りの目的は、女たちの背負う仏典が示すように、神仏の加護を願うことにあるが、同時に作物はその成長ぶりをよく観察して、ほめたたえてやれば、一層発育が促進されるものだと考える類感呪術的な意味もこめられているようだ。畑巡りをするのは女性が望ましいとされてるのも、子供を生む女性にならって作物も実のってほしいということであろう。また、いつもは乗物としてよく利用する騾馬に、この日は決して乗ってはいけないとされるのも、騾馬が一代限りで仔を生まないからだという。

ヤースーdbyar gsol)「夏供養」

 同じく5月上旬の吉日に、チベット土着の神々を供養する行事ヤースーが行われる。

 土着の神々についてはわからないことが多いが、民間伝承によると、この世に恨みを残して死んだ人の霊が神格化したものらしい。無念な死に方をした人の霊は、死んで間もない頃は、人間や家畜や作物に危害を加えるなど恐ろしい祟りをするが、ねんごろに祀れば人間に対する怒りが鎮まり、激しく荒々しい力を人間の利益に差し向けると考えられている。やがて時の経過とともに、気むずかしく狂暴な性格はすっかり影をひそめ、人間の一生をやさしく見まもる守護神となる霊もあれば、土地神として、土地の住民、家畜、畑の守護神になる霊もあるという。

 これらの神々は山を棲家とするが、一箇所に常在せず、風のように敏速に、あらゆるところを自由自在に飛びまわり、人間が神々のために建てた祠や石の小塚や、祈祷旗をかかげた家々の屋上に立ち寄るという。そして人間のために利益をはかる一方、息袋というものを背負い、その中に神々の食物である人間の息を集めて歩く生命の支配者でもあるという。

 これらの神々はしばしば人間にのりうつりその人の口を通じて、自らの意図を人々に伝える。神霊のある者は、特定の人物にのりうつって神託を下す。

 人々は折にふれて、神意を伺い、燻香を焚き、神霊をなだめ、神の加護を願う。個人的な供養のほかに、同じ神を信ずる人々が集まり、夏と冬の2回、総出でその神を供養する。

 ヤースーというこの「夏供養」では、人々は各々が奉ずる神が住むとされる山や、憑坐の住む神殿や祠で神を供養する。

 たとえば、デプン寺の裏手にそびえ立つゲンペー山dge'phel ri)は、デプン寺と周辺地域の守護神テンマbstan ma)の依り所といわれる山である。夏のくようのため月の15日に、デプン寺の僧侶や土地の人々は、2日がかりでその山に登る。山頂に着くと、あちこちに築かれた小石の堆積ドプンrdo phung)に五色の旗タルチョーdar chog)を立て、ドプンの周りに張った綱に小旗タンディンdar lding)を結び付け、幸運を願う。そしてドプンの傍にたかれている大きな焚火に、人々は持参したケンパkhan pa)、パルba lu)、シュクパshug pa)、スルsu lu)などのサンシンbsangs shing)「香木」を投げ入れ、火を消して煙をもうもうと立ちのぼらせ、神への供養をする。また茶とバター、大麦の炒粉を混ぜたサンツァムbsangs rtsam)を火に投じて、香りを奉納する。それから経典を読誦しながら、石の堆積に、俗人は酒をふりかけ、僧侶は茶や水をふりかける。最後に一番大きい石の小塚を取り囲んで、「神を供養します。神よ勝利あれ」などと叫びながら大麦の炒粉ツァンバrtsam pa)を中空に撒き上げる。

 また憑坐の住む神殿には、高い山に登れない人々が晴着を着て集い、燻香を焚き、神託をきく。ネーチュンgnas chung)やガトン・シンチャチェンdga' gdong shing bya can)など高名な憑坐のもとには政府高官が訪れ、宗教や政治上の問題について神託をきく。人々は憑坐に礼布カターを献じ、お返しに憑坐から、憑坐の息のかかった結び目のある紐や麦粒をお守りにもらう。その後近くの柳の林の中に天幕を張り、宴会を開く者もある。

 同じ頃、ところによっては土着の神を祀る寺院や神社の境内で、神々の供養のためにチャム'chams)という舞踊が演じられる。踊り手は鹿、ヤクなどの動物や、鳥、どくろなどの仮面を被り、トゥンチェンdung chen)という吹奏楽器、あるいは太鼓とシンバルの演奏に合わせて、上下運動の激しい輪舞をくりひろげる。仮面はそれぞれ神の姿を表すものであるという。

ザムリン・チサン'dzam gling spyi bsangs

 5月15日に、ラサの住人によって行われる神々の供養で、内容は前述のヤースーと同様のものである。

 セラ寺とラサの守護神であるカーマシャーkarma shar)をはじめとする神々の憑坐たちが、柳の林の中で多勢の信者を前にして、神がかりをして神託を下す。晴着を着た信者たちは、礼布カターや酒を憑坐に献じて、お返しにお守りをもらう。屋上や水辺で人々は燻香を焚き、神々に供養してから、柳の林の中に天幕を張り、にぎやかに園遊会を開く。

 
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