チベットの正月

文:星実千代
 

 正月はチベット語でロサーlog sar)というが、この言葉には「新年」とともに、「新しい収穫」という意味も込められている。麦の生産を生活の基盤とするチベット人にとって、収穫の時は、生活サイクルの折目として意義深いものなのであろう。収穫が完了し、農作業が一段落した頃に、チベット各地でロサーの行事が行われる。時期は各地で異なっており、早いところではチベット暦の10月に、また11月、12月、1月に行うところもある。こうした時期のずれの主な原因は、チベット人の居住地域が広大で、自然条件も多様なために収穫時期が異なっていることによるものだと思われるが、チベット暦1月のロサーは収穫の時期より時間的にかなり遅い。これは、中国からの暦法の導入とともに、暦の年頭に正月行事を行うという考え方が取り入れられ、暦の最初の月までロサーが繰り延べされたためなのかもしれない。

 また、正月を約1ヶ月の間隔を置いて、2度祝う地方も多い。一つは家族単位の行事を行うもので、もう一つは大地主などの地域社会の最有力者の家で行われるものである。それぞれさまざまな名称があるが、前者を「百姓の正月」(so nam lo gsar)、後者を「王侯の正月」(rgyal po'i lo gsar)などという。ここでは1959年以前ラサの近郊の農村で行われていたという「百姓の正月」を中心に述べることにしよう。資料は年中行事についての筆者の聞き書きノートを用いた。話を聞かせてくれたのは、ラサ及びラサ近郊出身のチベット人たちである。

 正月がチベット暦の何月に当たっていても、元日はその月のついたちに設定されており、3日ないし4日までが正月である。

<正月準備>

 正月用の飾り付けや供物の準備は、前の月の半ば頃から始められる。

・麦の鉢植えロプーlo phud
 2週間ほど前に素焼きの鉢に大麦と小麦の種を蒔く。これを昼間は日向に出して暖め、夜は家の中にとり込むなどして、発芽させ、元日にちょうどよく麦の青葉が見られるように仕立てる。正月の飾り棚に供える大切なお供え物である。

・旗竿タルシンdar shing
 家々の屋上や前庭に掲げる祈祷旗タルチョー(dar lcog)や古くなった旗竿は、正月には新しいものに取り換えるので、10日ほど前から用意する。旗竿にする木は、柳の類で、必ず先端に青葉のついているものでなければならない。林から切り出してくるか、公園の柳を代金を払って切らせてもらう。門松を思わせるものである。

・揚げ菓子カプセーkha zas
 日本の正月に餅が無くてはならないものであるように、カプセーはチベットの正月にお供え物としても、ご馳走の一つとしても欠かせないものである。小麦粉にバターを加えて練り合わせ、ろばの耳の形などに作って油で揚げる。材料に砂糖を入れることもある。大きなかりんとうのようなものと思えばよい。材料の小麦粉、菜種油などは早めに調達して、3日前から作り始める。
  29日と30日は家中の汚れを払い、身を清め、正月用の飾りつけ、ごちそうの仕上げなどで忙しい。

・煤払いトーチ−du ba phyis
 29日は朝から家中の大掃除をする。特にかまどのある部屋の煤の汚れを念入りに払う。ここは台所兼食堂兼居間として、日常生活で重要な役割を果たす場所である。掃除が終わったら、大石を焼いて石焼ぶろをたて、家族全員入浴し身を清める。

・身代わり人形ルーglud)の追放とすいとん占いdgu thug
  29日の夜、身代わり人形を作り、これに家中の汚れを背負わせて追放する儀式を行う。
  まず、大麦の炒り粉に水と酒、それにチーズを作った後に残る汁チュークphyur khu)を加えて練り上げ、人の形に作り、ありあわせの布切れで作った着物を着せる。これが身代わり人形ルーglud)である。こわれた素焼の容器とか山羊や羊の皮で作ったバター入れの使いふるしなどの容器にこの人形を入れ、一緒に野菜くずなどさまざまな食物を少しずつと、家族全員の着物の糸くずなどを入れる。こわれた椀や麦粉で作った皿に灯芯を灯して身代わり人形の容器に添える。身代わり人形への供養のつもりであろう。
  次に人形を作った残りの練粉を、一人につき二握りずつ家族全員に配る。各人が練粉を左右の手にもって身体中になしりつけ、髪の毛や垢をくっつける。最後に両手の中の練粉をそれぞれ片手で握りしめてから親指で押え、団子にして、人形の容器の中に入れる。人の汚れを人形になすりつけたわけである。
  その後、すいとん入りの麦がゆを食べて家族の性格判断をする。麦がゆは小麦を水洗いしてつぶし、チーズ、肉、食塩、水を加えて煮込んだものである。この中に小麦粉の団子が入っているが、団子の中には炭、唐辛子、バター、羊の毛、めすヤクのディbri)の毛、日や月と書いた紙片、塩のかたまり、山羊の糞など9種類入っている。めいめいの椀の中に入っている団子の中身で、その人の性格を当てっこしようというのである。中身が炭なら意地悪、唐辛子は口うるさい、バターは口先が上手、羊の毛は忍耐強い、ディの毛は怒りっぽい、塩はぐず、山羊の糞はずるい等と決まっている。団子の中身をあらためては家中大笑いして、麦がゆをお腹いっぱい食べる。ただし団子は食べない。
  家族めいめいが麦がゆを1椀食べる毎に、椀の中に汁を少々残し、それを「1、2、3、......9」と唱えながら9滴に分けて身代わり人形に注ぎかける。麦がゆの食事がすんだら、身代わり人形追放の儀式をする。家中の汚れを一身に背負った人形を三叉路、辻など、道の交差するところに捨てに行くのである。準備が整うと、家中の窓を開け放つ。一家の主人は棒の先端に麦わらを束にして巻きつけ、わら束の部分を油に浸して点火する。燃え上がる棒を振りかざした主人は「出てこい。出てこい。さあ出てこい」と叫びながら家の中に潜んでいる悪霊を追い出すような仕種をする。屋上からも家人が空砲を撃ったり、爆竹をたいたりして厄払いの加勢をする。最後に主人は人形を捨てに行く2人の男を燃えるわらで追い立てる。この時、家人は必ず家の中にいて、人形に向かって、憎々しげに手をたたいたり、つばを吐きかけるなどの憎悪の表情を見せつける。2人の男は人形を外に持ち出し、交差している道に捨てたら、後を決して振り返らないで一目散に家に帰って来る。もしも後を振り返ったら、悪霊が元の棲家への道筋を見つけて戻って来てしまうという。家の入り口には家人が待ちかまえていて、人形を捨てて帰って来た人に大麦の炒り粉をまっ白になるほどふりかけて汚れを払い、身代わり人形追放の儀式を終る。

・大晦日の飾り付け
  かまどのある部屋から飾り付けを始める。煙で燻されて、まっ黒になった壁に、白い大麦の炒り粉の練物で八つの吉祥模様タシターギェーbkra shis rtags brgyad)を描き出す。水で練った麦粉を、親指につけて壁に張りつけるのだが、器用な人の手にかかると、まっ白な模様が壁にくっきりと浮かび上がって、見る人はすがすがしい気分になるという。それから台所の柱や、茶の攪拌器、水桶など、その年よく使った道具類に白い礼布のカターkha btags)を結びつける。かまどに棲むという龍神klu)のためにかまどの傍に小卓を置いて正月のご馳走などを供える。
  仏間にはお飾り用の台をしつらえ、供物を並べる。水、線香、灯明、青葉がのびた麦の鉢植え、大麦の炒り粉で作った羊頭、粒状小麦と大麦の炒り粉を山盛りにして麦の穂をさした大きなお盆、甘煮の山芋トマgro ma)入りのバターご飯、濃縮茶、乳、油で揚げた菓子カプセー(kha zas)、果物などをきれいに飾る。
  この日女達は「女神の洗髪」(lhamo'i dbu bsil)と言って、どんなに寒くても必ず髪を洗う。どこの家も夜遅くまで正月仕度で忙しく、ほとんど寝ずに元日の朝を迎えることも多い。

<正月>

・元日の水汲み
  年頭の最初の仕事は水汲みの儀式である。朝まだ暗いうちに晴着を着た人々が、水桶を携えて水汲み場へ先を争ってかけつける。正月中必要な水は大晦日までに汲んで、台所の水桶に充分用意してあるのだが、元日の朝、犬も馬も人の声もまだ聞こえないうちに、「寝ている水」を誰よりも先に汲もうというのである。水を汲みに行く人は男女どちらでもかまわないが、主として台所をあずかる主婦や女性が行くことになっている。彼女らが手にしている水桶には礼布カターが結びつけられており、水桶の中に塩や茶のかたまり、くるみ、干し桃などが入っている。水を汲むとき、これらを水に投じて、龍神の加護を願う。桶に静かに水を汲み、顔と手を洗ったら家に帰る。汲んできた水は、まず仏間の正月飾りの台に供え、それから元日の朝、食べることになっている食物の中に少しずつ注ぐ。家族みんなで龍の功徳にあずかろうというのであろう。日本の若水汲みとよく似ている。

酒がゆskol gdan
  元日の朝一番に口にする食物である。鍋に酒を入れて暖め、大麦の炒り粉、炒り米、砂糖、チーズ、それに元日の朝汲んだ水を少々入れる。屠蘇のような縁起物なのであろう。まだ寝ている人には寝床まで運んで飲ませる。

・祝言の掛け合い
  酒がゆを飲むと、家族一同晴着を着て、正月の飾り付けをした部屋に集まり、輪を描く。輪のまん中には、麦を山のように盛り上げたお盆を持った年長の女性(白髪の女性が望ましいとされる)が立つ。お盆の半分は粒状の小麦、もう半分は大麦の炒り粉で、それぞれの山に小麦の穂、大麦の穂がさしかけてある。お盆を持った女性と家族のひとりひとりが次のような祝言の掛け合いをする。

女:豊かに満ち足りておめでとう。
相手方:母上はご機嫌うるわしくお元気でしたか。
女:いつまでも幸せでありますように。
相手方:来年の今頃もたわわに稔った穂にお目にかかれますように。

 各自差し出されたお盆から、小麦の粒と大麦の炒り粉を、親指、人差し指、中指の3本でつまんで空に向けてはじき、神に捧げる。そして大麦の炒り粉を自分の口にも少し入れる。正月の行事の中で最も重要な儀式の一つである。母といわれる女性が何を表しているか明らかではないが、掛け合いの言葉から遠来の人をうかがわせる。また「大晦日の女神の洗髪」と称して、女性が特に身を清めるところからすると、人間の女性というより地母神的な女神を表現しているのかもしれない。

・初詣
  祝言の掛け合いがすむと、寺院に参詣に行く。その後、各々が帰依するラマを訪問して礼布のカター、お金などを贈り、新年の挨拶をする。お返しに特殊な結び目のついた紐のお守りをもらって帰る。

・ほかい
  その頃、家々をデーカル'bras dkar)という門付芸人が訪れ、祝言を述べる。この芸人は顔の半分を白く、他の半分は黒く塗り、鼻に貝殻をつけている。さらに山羊のしっぽで作った白いひげをつけ、白い山羊皮を頭につけている。風変わりな白髪の老人を表しているらしい。デーカルの訪問を受けた家では礼布カターをその首にかけてやり、酒や揚菓子カプセーを与える。
  昼食後は、大人は酒を飲み、ご馳走を食べて、マージャンやさいころなどの賭け事をしたり、歌や踊を楽しむ。子供は、男の子なら羊の骨で作ったおはじきで石けりのような遊びアプチューを、女の子なら穴のあいた硬貨に彩色したはげたかの羽をさしこんだものを足でけり合う、羽つきに似た遊びテベーthe bad)などをする。
  2日は年始まわりに親類縁者を訪問するほか、特別な行事はない。
  3日ないし4日のいずれか、占星術師の占い又は暦に従って日を決め、神々を供養する。屋上や庭に立ててある旗竿が古くなっていれば、年末に用意しておいた新しいものと取り換え、祈祷旗はすべて新しいものを掲げる。その後、家族全員晴着を着て屋上に上り、産神キェーラskyes lha)を供養する。屋上の一隅に作りつけられている香炉に火を入れ、乾燥粉末にした杉の葉を投じて、煙をもうもうと上げる。しばらく神供養の経典を読誦した後、全員で大麦の炒り粉を空中に投げ上げながら「神の勝利あれ!」と声高らかに唱える。大麦の炒り粉が他の人の身体にかかるように撒き散らすいたずら者もいて、全員粉屋のように白くなる。地方によってはこの日、山に登って、同じようなやり方で神々を供養する。

 「百姓の正月」は、およそこのようなものである。元日早朝の水汲みの儀式にみられる龍神供養、地母神を思わせる女神との祝言の掛け合い、飾り台に供えた麦を盛り上げたお盆、麦の鉢植え、麦粉で作った揚菓子、産神供養などからうかがわれるように、「百姓の正月」は、麦の豊作を祝い、翌年もまた豊作であるように、龍神、地母神、産神など諸々の神々に祈願する神事に由来するものではなかろうか。

 「王侯の正月」には、村一番の有力者の家で、「百姓の正月」とほとんど同じ行事が行われるが、一般庶民の家では特別なことは何もしない。当日有力者の家に拝賀に参上し、酒食のもてなしを受けるだけである。祝福を受ける側は、振舞い酒の仕込みやご馳走の準備で前の月から大変忙しく、費用も莫大なものになるという。「王侯の正月」の由来は今のところ明らかではないが、庶民の関与の度合いが薄く、権力者の負担が大きいことなどからすると、「百姓の正月」のように神事とは考えにくい。むしろ権力者が力を誇示し、その庇護を受ける者が恭順の意を表す機会として設けられたのではなかろうか。

 
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