2. 調査3村の人口とその変化
   この章ではネワールのS村、パルバテ・ヒンドゥーのB村、ミティラーのG村の人口と、若干の時点間での人口変化を分析する。ここで扱う3村はみな複数カーストを擁する社会である。個々のカーストおよびカースト間関係に関しては、それぞれの社会について詳しい記述・分析が必要であり、一部はすでに発表済みである。カースト社会では人口とその動態を見るうえでカースト別に分けた扱いもしなければならないが、ここではカースト(間関係)自体についての説明は最小限の表の形で示すにとどめ、詳細は別の箇所で扱うことにしたい。

2.1. 全人口


2.1.1. ネワール調査村(S村)
   ネワールのS村で全数調査を行ったのは1970年、1978年、1984年、1996年である。

 ここではそれらの年の一時的居住者を除いた全人口を表とグラフで示す。
 (一時的居住者は仕事を求めてS村にやってきた人々であり、男性が圧倒的に多い。したがって以下で行うように、人口の男女比をも含めて考える場合には、一旦除いて扱うほうがよいと考えられる。)

S村

1970

1978

1984

1996

562

727

799

973

558

637

752

969

合計

1120

1364

1551

1942

(一時的居住者<間借り人等>を除く)

 

 S村では、26年間に1.7倍近く従来の(一時的居住者を除いた)村人の人口が増加している。ネパールの山地(特に標高2000m以上の「山地高部」)の村々では出稼ぎのために成人男性人口が少なくなるという現象も見られるが、ここ、カトマンズ盆地の都市郊外の村ではそのような傾向は見られない。この村は、首都カトマンズやその他の町に働きに出る場合にも通いで行ける位置にあり、また特に1980年代後半からは村域内に労働者を引きつける工場等が進出してきてもいる。そのような条件のためにここでは成人男性人口の流出はあまり見られないのである。

 そのような中で、各調査年を通じて、男性に比して女性の数が少ないことが見てとれる。この女性人口の比較的な少なさはネパール全国の人口統計においても見られるものであり、他の国々と比べネパールの人口面でのひとつの特徴となっているが、それがこのS村にも現れており、また以下に見るように他の村でも(程度の違いはあるが)見てとれる。ここで扱っているのは、すでに述べたとおりカーストを持つ社会であるが、そのような社会において人口の男女差が現れている点に注目しておきたい。

 

2.1.2. パルバテ・ヒンドゥー調査村(B村)
    パルバテ・ヒンドゥーのB村で全数調査を行ったのは1978年、1996年である。

 S村と異なりここでは、工場や季節的農作業での就業を当てにした一時的居住者はほとんど存在していない。農業労働のための日雇いあるいは常雇いの労働者が村人の家に住み込んだりその土地に小屋を建てたりして住んでいる例は存在する。これらの人口は以下の「B村全人口」の中に含む形で扱っている。

B村

1978

1996

189

289

188

288

合計

377

577


   B村では18年間の人口増加率は1.6倍ほどである。これはS村で従来の住民が26年で1.7倍近く増えたことに比べてかなり高い増加率である。別の場所で詳述しなければならないが、B村では1980年代中葉にかなりの耕地が灌漑され、作物の転換、収入増加などを見ている。そのため、流出人口が低い水準でとどめられ、また、人口扶養力も、食糧、衛生状態などの面から高まっている(同時期に保健所の整備も進んでいる)。
 この表およびグラフには分けて表示していないが、現在この村のさまざまな世帯には、カトマンズの町の学校に通うためにそこに下宿している学生が、合計してかなりの数みられる。彼らはここでは一応「村内人口」に含める扱いとしている。(その詳細についてはのちの職業および就業人口の項において扱う予定である。)
 この村では1978年、1996年の両時点で、それほど顕著な男女人口数の差は見られないが、他の国々では多く女性の人口の方が少々多いということを考えれば、やはりこの村でも人口におけるネパール的性格がまだ見てとれるといえるであろう。それがこのB村で希薄な形で現れていることが、ネパールの山地の特徴といえるかどうかについては更に比較研究が必要とされる。

 

2.1.3. .ミティラー調査村(G村)
   ミティラーのG村で全数調査を行ったのは1989年、1996年である。

 S村、B村と異なりここでは、一時的居住者はほとんど存在していない。

G村

1989

1996

492

536

432

508

合計

924

1044


 

 G村での2調査年の間隔は7年であるが、それを考慮しても上記2村に比して、ここでの人口増加の程度は低いといえる。これも職業等を扱うところで詳しく検討しなければならないが、G村内においては農業を除いてはさしたる就業機会が得られず、農業面での生産の増加もあまり顕著でないため、ここからは出稼ぎなどでの流出人口がかなり見られる。また病院・保健所等へのアクセスなどの面でも(ここで扱っている他の村に比べれば)恵まれていない。そのようなことが人口を抑制する要因になっていると考えられる。

 ここでははっきりと男性に比して女性の数が少ない傾向が見られる。1996年の時点で開きは小さくなっているが、なお1000人余の全人口の中で両者の間に30人近くの人口差が見られる。

 ここで扱っているどの村落でも同様なことがいえるが、人々は、母親を含め子供はまず男の子を欲しがり、女の子が産まれると残念がるという傾向を示す。この辺りの社会(ヒンドゥー社会およびその影響の強いネワールの仏教徒の間)に、火葬の時に息子に点火してもらわないと天国に行けないという考えが広がっているという点はよく指摘されるところであるが、これは確かに男の子に対する選考性が高いという点につながっていると考えられる。死亡率の詳しい調査は行わなかったが、幼児における女子の死亡率は(間引きの可能性を含めて)高いと考えられる。また、嫁入りして間もない女性が大病に罹ったり死亡したりする例なども見かけるところであり、姑になる以前のこれらの社会の女性の生活は観察していても決して楽なものではないと感じられる。

 

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