見送りの人。
歯ブラシ
定刻を過ぎても列車は動き出す気配がない。
小さいけど、見送りの人々の手、のつもり。
を売り歩く少年、キオスクでコーラ
を飲んでいる人たち。
デッキに出ていた別の乗客が話しかけてきた。タンザニア人の青年だが英語がとても流暢だ。タンザニアでは英語の上手な人は珍しい。父が駐カナダ大使をしていて海外での生活の方が長かったのだと言う。そんな話をしていると突然、
96年度からの科研費による国際学術研究 「東アフリカにおける地域共通語に基づく文化圏生成とエスニシティの構造」(代表・宮本正興大阪外大教授) に参加することになった私は、ビクトリア湖岸の少数民族の言語とその言語使用に関する調査を行うことになった。今回の旅はその下調べとして、ビクトリア湖の周辺地域を見て回り、調査地を決めるのが目的だ。インド洋岸のダルエスサラームから内陸のビクトリア湖までは飛行機やバスで行く方法もあるが、初めての内陸への旅を鉄道で行ってみることにした。ここではその旅の報告をしようと思う。
全行程およそ1200km。車中2泊で3日目の朝にビクトリア湖南端の町ムワンザに着く。列車が走る経路はかつて奴隷や象牙が運ばれた交易路であり、バートンやスピーク、スタンレーといったヨーロッパの探検家達が奥地を目指して進んでいった道でもある。19世紀の終わりドイツの植民地支配下で鉄道が建設された。内陸の中継地点タボラで北のムワンザ行きと西のキゴマ行きとに分かれている。
列車はダルエスサラーム市内を抜け、いくつかの小さな集落を通り過ぎて行った。やがて家々の姿も見えなくり、潅木の林が続くようになる。不快だった蒸し暑さが収まり始めると、まもなく日が暮れた。
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