愛のナミビア編
「座る」−ヘレロのおまじない−
前回
までのあらすじ
ナミビアでヘレロ語の調査をすることになったノブコ。動詞派生形の謎を解くためインフォーマントのアンジェラと二人三脚を・・・しかし、その行く手には恐るべき罠(考えようによっては単なる自業自得)が待ちかまえていた!ノブコの調査は急カーブを描いて、さあ一体どこへ行く!?
だけどこれはなかなか興味深い。
調査はそっちのけで
詳しい話を聞くことにした。
「もし汗が入っていることが彼にばれたらどうなるの?」
「浮気相手も汗の入った料理を食べさせていたらどっちが勝つの?」
などなど。
(HP作成者の独り言:それで、どっちが勝つんですか?これはなかなか興味深い。)
話はさらに別のおまじないへと発展する。
ひとしきり『夫の浮気防止』の話でもりあがった後、私は「ところで、・・・・のところに『椅子』を入れて『私は彼の椅子に座る』っていうのは言えない?」と何気なくたずねてみた。するとアンジェラは、なるほど、といった顔で「ああ、そうそう、それも言えるわ」とうれしそうに答えた。おいおい。『食事』しか入れられないって言ったのは誰なんだ。でもまあ、はじめから"普通の"例文を提示してくれるようなインフォーマントであれば、ヘレロの女たちのこのようなおまじないを教えてもらえるチャンスもなかったかもしれない。あせらずゆっくりやりましょ、と気を取り直す。

座禅をくむ一休さんの巻
とはいえアンジェラはこのまますっと調査に戻るような奴ではない。気分はもうすっかり『おまじない』に移ってしまっている。
「ねえねえ、日本では彼の気持ちをこっちに向けるのにどんなことをするの?」
わたしは少しでも早く次の質問をしたいと思っていたはずなのだが、アンジェラにこう聞かれて思わず考えこんでしまった。「ないの?」と催促されて「いや、ある」とムキになっている私。まずい、またアンジェラのペースにはまってしまっている、と思いながらも
「制服の第二ボタンをもらうってのがある」
と、はるか昔、中学生のときにはやっていたおまじないを話した。私としては「料理に座る」に匹敵するような"大人っぽい"のを披露したかったのだが、思いつかなかった。何だかアンジェラにばかにされそうである。
ところがアンジェラは「それって効くの?」と真剣に聞いてきた。もらったボタンは肌身離さず持っておくのか、それとも枕の下に置いて置くのか、ノブコは夫の第二ボタンをもらってナミビアに持ってきたか、アンジェラの質問は続く。
こんな調子で、"いろんな動詞"で試してみようと思っていた調査の時間は、"ひとつの動詞"で終わってしまった。
けんかで調査が中断することもけっこうあった。私たちは、負けず嫌いでがんこ、という性格も似ていたのでこれは当然避けられない。が、仲直りは案外早かった。アンジェラは「ごめん。ノブコがセンシティブだってことをもっと理解すべきだった」とくる。こう言われると、私がセンシティブかどうかはともかく、私も悪かったなと素直になって「ごめんね、言いすぎた」と仲直りになる。たいていこのパターンだった。調査が中断するのは、話が横道にそれた場合より短いかもしれない。ただし一度だけ、こうはいかなかったことがある。帰国間近のある時、ふとアンジェラに
「センシティブってどういう意味?」
とたずねることがあった。彼女はあたりまえじゃないのという顔でこう言った。

めらめら燃えあがるマッチの図
この後のけんかは、滞在中で最大のものとなった。
調査のできはインフォーマントによるところが大きい。アンジェラは決して"優秀な"インフォーマントではなかったが、それゆえに思いがけず得られたデータも随分ある。何よりも調査を楽しませてくれた。今ごろアンジェラはアメリカから帰ってきた夫から第二ボタンをもらって枕の下に置いているかもしれない。
めでたしめでたし
さて、この調査結果については『アジア・アフリカ言語文化研究』53号(1997年)に「ヘレロ語適用形の機能について」としてまとめられています。
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