規定の範囲:どこまで書き手の自由を認めるか
「正書法に於いて、規範を何処まで厳くしたらいいのでしょうか?」


  1. 規範の必要性
     正書法に或る程度の規範が必要なのは当然です。人々が本当に好き勝手に書いていたら、コミュニケーションの手段として成り立たなくなります。

  2. 緩めの規範の勧め
     但し、余り厳しくする必要は無い、或いはどうも得策ではないという意見があります。

    字体
     金田一春彦1988『日本語 新版』(岩波新書)の下巻286頁以降、このような記述があります。「漢字は、手で書くときは、それほど正確に書かなくてもいい字なのではないか―。」「大体どの字かわかるところに特色があるのではないか。似たほかの字と取り違えてはまずいが、横棒の一本ぐらい落しても、それとわかれば構わないのではないか。」これは些か極端な意見かも知れませんが。

    送り仮名
     字体の問題だけでなく、送り仮名に関しても、同書37、38頁に、活用語尾だけを送ると云う原則を守ると「アガル」は「上る」だが「アゲル」もあるから「上げる」としたくなるだとか、「オコナッテ」を「イッテ」と区別するため「行なって」としたところ先の原則が崩れたとか、規則を厳密に守ることから生じる問題を指摘しています。
     

    エチオピア文字の同音異字 「歴史的仮名遣い」
     表音文字に話を移せば、エチオピア文字には、嘗ては区別されていた音が同じ音に合流してしまったため、同音異字がいくつかあります。語源を考えればそれらはきちんと使い分けられるべきでしょうが、そしてそれにはそれなりの意味がありますが、徹底させる事は最早不可能でしょう。日本語の歴史仮名遣いを復活させ、昔は音でも区別されていたア行の「い」とワ行の「ゐ」を書き分けろ、というようなものです。エチオピア人は現在ではかなり好きなように同音異字を使っています。日本では「ゐ」は殆ど使われなくなってしまいました。どちらが良いと云うことは一概には言えないでしょう。

    日本語のローマ字表記
     今のは、言語の歴史が絡んでいるため、正書法制定には直接には無関係かも知れませんが、現代語だけを考慮してもこうした事態はあります。日本語のローマ字表記も「し」をsiと書くか、shiと書くか、「つ」をtuとするのかtsuとするのか、「新聞」はshinbunなのかshimbunなのか、といった問題があり、どちらも使われていますし、それで混乱が起きたという話はローマ字の使用が限られているせいもあってか、聞いた事がありません。但し、例えばShibatani, Masayoshi 1990 The languages of Japan (Cambridge University Press)の文献目録を見ると「しばた」と「しばたに」が並んでいず、Shibatani、Shinmura、Sibataの順になっているので、場合によっては混乱を引き起こしているのかも知れません。

    大文字と小文字
     英語では、文頭と固有名詞の最初は大文字を使い、それ以外は略号などを除けば小文字で書くのが普通ですが、本のタイトル等は、途中であっても名詞や動詞が大文字で書き始められる事がありますし、全部大文字で書かれる事もあります。そしてそれらは、それなりの視覚効果を与えています。これらも無理にどちらかに統一する事はないでしょう。

  3. 補助的記号の使い分けに関する規範
     以上、少し観察すれば正書法、規範とはいってもそれなりに緩い点があり、それでも実用上問題ないどころか、かえって便利な点もあることを述べました。
    ところで、規範というのは変種の存在を許さない、或いは極度に制限するものであると思いますが、この可能な変種の数と云う点からすると、その他にも考えなければならない現象があります。

    日本語の平仮名
     例えば、日本語の振り仮名です。振り仮名を何処に振るのかには、少なくとも私の知る限り、現在、規範は存在しません。多くの場合、難読語にのみ付されるものでしょう。しかし、全部に振って悪いという決まりはありませんし、子供向けの本なら、実際全部に振ってあることもあります。つまり、必要に応じて、加減する事が出来る訳です。
     

    アラビア語の母音記号
     そういう目で見ると、アラビア語にも似た点があります。アラビア語は基本的に子音のみを表す文字で表記され、母音は補助記号を用いて示されます。そして、実際にはコーランや子供向けのものを除いては付される事はまずありません。日本語の漢字と同じで、補助記号など無くてもその言語に通じていれば読めてしまうのです。しかし、大人向けの普通の読み物でも所々付されているのを見掛ける事があります。子音のみ表記する事から来る誤読・誤解を避ける為の処置でしょう。
     これは確かに上手いやり方です。全部に振り仮名や母音記号を付けるのは、確かに面倒です。又、多くの場合に無しで済ませられるものですから、そうしたものを普段は書かない、というのは理に適った事です。しかし、全く無かったとしたら、時々ですが、誤解を生じます。そして、そうした時に備え、その気になればきちんと細かく表記も出来る、そうしたシステムが振り仮名であり、アラビア語母音記号なのです。

    任意の補助記号
     この、普段は使わないけれども必要となれば使う事が出来る補助記号、という考えは、他の言語にも応用出来ると思います。例えば、トーンがある言語で、それらを全部表記する事は大変面倒で、尚且つ文脈があれば表記しなくても殆ど誤解が生じない、といった言語では、普段はトーンなぞ表記せず、誤解が生じる時のみ(「雨」と「飴」のような対)、補助記号を使う、という手があります。そして、それらをどう表現するかだけ決めておいて、何処でどの程度使うかは、書き手に任せてしまうのです。

  4. 実際的な規範
     いずれにしても、規範が厳しく、書き方が一通りしか許されない、というのは何かと実際的ではないようです。正書法を制定する時は、規範にばかり目が向いてしまいますが、こうした事や、更には規範を緩くする事の、複数の書き方を許す事の利点も忘れないようにしたいものです。

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まとめ
 表記の規範を厳しくしすぎるとかえって面倒な事が起きる。書き方を一通りに決めない事の利点も積極的に活用したい。
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