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 C-2: Hari-Ulang Ke-50 Tiong Hoa Hwee Koan Djakarta
(『椰城中華會舘五十週年紀念刊』)


 発行元:  Tiong Hoa Hwe Koan - Djakarta (1950年) 
 言語:  ムラユ語、中国語、一部英語、オランダ語
 備考:  1900年にバタヴィア(現ジャカルタ)で設立された中華會館の50周年記念刊。 
原資料をスキャンしリプリントしたものを電子化。
モノクロ、全68ページ(表紙含む)、アルファベットOCR処理済み。
資料提供: Harianto Sanusi氏


  No.   ファイル   サイズ   内容
 1  data (part 1)   45.1 MB  前半、ムラユ語部分 
 2  data (part 2)   12.4 MB  後半、中国語部分



解説

■発行元について
 ジャカルタ中華會舘(旧バタヴィア中華會舘)は1900年に設立、翌1901年には華人子弟のための教育機関を開設。近代教育を通じて同地の華人の地位向上を図ることを、主な目的とした。


■内容について
 本書は、ジャカルタ中華會舘が発刊した、設立50周年の記念刊である。
1900年に設立され、オランダ領東インドの華人の地位向上の動きに先鞭をつけた中華會舘であったが、1920年代から30年代にかけて華人社会の間では様々な立場の様々な組織が乱立し、中華會舘の影響力は低下していた。さらに、日本軍政期と独立戦争期を経て、中華會舘の活動が停滞を余儀なくされる中にあって発刊された本書は、10年前に編まれた記念刊に比して質・量ともに明らかに見劣りする。しかし、1940年から1950年にかけての激動のただ中で、同組織、ひいてはジャカルタの華人社会がいかに対処したかを窺い知る上では、大変貴重な資料であると言えよう。
 注目すべき記事としては、中華會舘の相談役であったSouw Hong Tjoenによる、インドネシアの華人の政治動向を中華會舘の役割を中心に簡潔に年表にまとめた記事(pp.13-17)、中華會舘における中国語・漢字の教育法や問題点について論じたPaw Khaij Hinによる記事(pp.26-28)などが挙げられよう。また、バタヴィア中華會舘40周年記念刊を編纂した梁右蘭(Nio Joe Lan; 1904-1973年)が、中華會舘の過去10年の歩みを振り返った記事(pp.29-33)や、プラナカン華人の文化活動(文学・絵画・舞台芸術など)の現状について論じた記事などを寄せているのも目を引く。
 本書の後ろの方には、中華會舘の簡史や教育などについての中国語による記事も掲載されている。

 インドネシアにおける組織的な中国語教育は、その後の政治過程により1960年代半ばまでにはほぼ姿を消してしまうことになる。だが、それに先立って1950年の節目の年に編まれた本書内の各記事には、過去10年近くにわたる動乱を経ていまだ先行きが不確かな新生国家インドネシアの中において、中華會舘に華人教育の再生を託そうとするささやかな希望が綴られている。

 



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