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 C-1: Riwajat 40 Taon dari Tiong Hoa Hwe Koan - Batavia (1900-1939)
(『吧城中華會館四十週年紀念刊』)


 著者:  Nio Yoe Lan (1904-1973年)
 出版:  Tiong Hoa Hwe Koan - Batavia (1940年) 
 言語:  ムラユ語、一部中国語
 備考:  1900年にバタヴィア(現ジャカルタ)で設立された中華會館の40周年記念刊。 
原資料をスキャンしリプリントしたものを電子化。
モノクロ、全377ページ(表紙含む)、アルファベットOCR処理済み。
資料提供: Harianto Sanusi氏


  No.   ファイル   サイズ   内容
1  data (part 1)   22.6 MB  表紙、前言、目次
2  data (part 2)   52.2 MB  第1部: 最初の5年(1900-1904年) 
3  data (part 3)   63.4 MB  第2部: 1905-1914年
4  data (part 4)   43.1 MB  第3部: 1915-1939年 
5  data (part 5)   23.5 MB  資料編
6  data (part 6)   29.7 MB  写真集(その1)
7  data (part 7)   78.2 MB  写真集(その2)
8  data (part 8)   76.3 MB  写真集(その3)、裏表紙

 



解説

■発行元について
 バタヴィア中華會舘(THHK)は、1900年6月に潘景赫、黄坤輿、許金安、陳金山、李興廉、潘立斎、丘亜樊、梁映堂、許南章らのイニシアティヴで設立された組織。(1)東インドの華人の「悪しき慣習」を改変すること、(2)孔子の教えを広めること、(3)近代的な教育制度を確立すること、(4)同地の華人の地位と尊厳を高めることなどを主要な目的としていた。翌1901年3月には、華人子弟のための近代教育機関として中華学堂(後に「中華會舘」と改称、通称「八華」)を設立し、組織の目的も近代教育を通した華人の地位向上へと集中していく。中華ナショナリズムと連動したこの動きはほどなくしてオランダ領東インド各地へと広がり、以降中華會舘と同様の組織や教育機関が相次いで設立されるようになる。


■内容について
 本書は、バタヴィア中華會舘が発刊した、設立40周年の記念刊である。
 中華民国大使、設立者の1人で1910年来マヨール(Majoor)となっていた許金安(Khouw Kim An)らの前言に続き、バタヴィア中華會舘の歴史が下記の3部構成でまとめられている。
  ・第1部: 1900-1904年、設立からはじめの5年間。
  ・第2部: 1905-1914年、教育活動を中心に各地に影響力を拡大する時期。
  ・第3部: 1915-1940年、活動が停滞して現在(出版時)に至るまでの時期。

 これらに続き、中華會舘の活動に関する資料のコピーが掲載されている。結婚や葬儀のあり方について、中華會館としての考えを示した文章などが注目に値する。
 最後は中華會舘の建物や携わった人物などの写真が、130ページほどにわたって掲載されている。

 なお、本書の編纂は梁右蘭(Nio Joe Lan; 1904-1973年)の手によるものである。バタヴィアに生まれ、オランダ語教育を受けた梁右蘭は、『競報(Keng Po)』の編集長(1928-1934年)を務めた後、1935年からは日本軍に拘束された数年を挟んで1956年まで、『新報(Sin Po)』で編集の任にあたった。ムラユ語、オランダ語、中国語を操る彼は、中国や華人の文学・歴史などに関する多数の著書を世に出している[Setyautama 2008: 250]

※参考文献
 Setyautama, Sam. 2008. Tokoh-tokoh Etnis Tionghoa di Indonesia. Jakarta: Kepustakaan Populer Gramedia bekerjasama dengan Chen Xingchu Foundation.



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