Archive20121 :: ILCAA Ishikawa Project 2010

2012年度第2回研究会(通算第6回目)

日時:2012年7月21日(土曜日)13:30-19:00
会場:AA研マルチメディア会議室(304)


報告1. 鶴田 格(AA研共同研究員・近畿大学農学部)「アフリカ史における農業革命の位置づけに関する考察」
本発表では、サハラ以南アフリカの農業の歴史的変遷のなかでいわゆる(古代)農業革命をどう位置づけたらよいかを議論した。哲学者上山春平の社会編成論を援用しつつ、古代メソポタミア、古代日本、中世東南アジアなどで国家と農業がどのような相互作用発展の過程をたどってきたかを考察し、それを踏まえて同様の過程がサハラ以南アフリカでも生起したかどうかを検討した。具体的には、エチオピア北部、サヘル地方、大湖地方、西アフリカ沿岸部などに興った王国群を事例として、それらが歴史家ウィットフォーゲルのいう「水力社会」的な性質をもっているのかどうかを議論した。同時に、I. コピトフが提起した「内陸アフリカのフロンティア論」、G. ハイデンが提起した「捕捉されない農民論」などを踏まえて、J.スコットが東南アジア山間部を事例に提起した「(国家の手から)逃れるための農業、逃れるための作物」という視点が、内陸アフリカの農耕社会に応用できるかどうかを検討した。結論として、アフリカ農業の歴史的変遷を分析するさいの視点として、農民社会が国家および市場とどのような関係をもっていたのか(服従したのか逃亡したのか)という観点からみることの重要性が示唆された。

報告2. 石川博樹(AA研)「ポルトガル植民地期アンゴラ農業統計資料の概要」
1884年から1885年にかけて開催されたベルリン会議とその後のヨーロッパ列強との交渉の結果、19世紀末にアンゴラはポルトガルによって領有されるようになった。第2次世界大戦後、植民地解放を求める国際世論の高まりに抗し、ポルトガルのサラザール政権はアンゴラにおける植民地支配を強化した。それに対してアンゴラでは1961年に独立闘争が開始され、1975年に独立が達成された。独立闘争が開始された1961年にアンゴラでは、ポルトガル植民地政府が組織したアンゴラ農業調査委員会による農業調査が開始され、その成果は1964年から1970年にかけて、『アンゴラ農業統計Recenseamento Agrícola de Angola』35巻として刊行された。このプロジェクトでは、アンゴラ全土を36の「農業地区」に分け、それぞれの地区の「伝統農業」と「企業農業」の調査結果の公刊が企図されていた。しかし解放闘争が激化していた当時のアンゴラ情勢を反映し、全地区の統計が揃っているわけではない。本発表では、まずアンゴラの気候や民族集団、アンゴラにおけるポルトガルの農業政策等について概説した後、『アンゴラ農業統計』の刊行状況、所蔵機関、調査地域、調査項目について解説した。最後に本農業統計を用いたアンゴラ農業に関する歴史学研究の展望と、それを進めるうえでの課題について述べた。