言語研修 報告
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トゥヴァ語 報告
       
研修期間:         2008年8月4日(月)~2008年9月4日(木)(土・日曜日、及び13日~15日は休講)
午前10時00分 ~ 午後5時00分 (最終日は午後4時まで)
 

  研修時間: 125時間  

  研修会場: 大阪大学箕面キャンパス
(大阪府箕面市粟生間谷東8-1-1)
 

  講師: 高島 尚生(大阪大学外国語学部 非常勤講師)
藤家 洋昭(大阪大学世界言語研究センター 准教授)
中嶋 善輝(大阪大学世界言語研究センター 講師)
Dambaa Oksana Vasilevna(トゥヴァ国立トゥヴァ共和国政府人材育成・能力向上大学 副学長)
 

  文化講演: 等々力政彦(トゥヴァ民族音楽演奏家・研究家)
 

  受講料: 75,000円(税込み)  

  教材: 『基礎トゥヴァ語文法』(高島尚生著)
『トゥヴァ語教本』(高島尚生著)
『トゥヴァ語会話集』(O.V. DAMBAA、高島尚生著)
『トゥヴァ語分類語彙集』(高島尚生、O.V. DAMBAA著)
『トゥヴァ語基礎例文1500』(中嶋善輝著)
『トゥヴァ語・日本語小辞典』(中嶋善輝著)
 

  講師報告:

1. 期間と時間
 トゥヴァ語研修は、2008年8月4日から9月4日までの、5週間にわたって行われた(そのうち土日および8月13日~15日の盆は休日)。 授業は通常一日につき6時間で、10:00-12:00、13:00-17:00 (12:00-13:00は昼食休憩) の時間配分で行なわれた (ただし、最終日のみは16:00まで)。研修の総時間数は125時間であった。

2. 講師
 藤家洋昭(大阪大学世界言語センター 准教授)
 中嶋善輝(大阪大学世界言語センター 講師)
 高島尚生(大阪大学外国語学部 非常勤講師)
 Dambaa Oksana Vasilevna
 (トゥヴァ国立トゥヴァ共和国政府人材育成・能力向上大学 副学長)
 ネイティヴ講師のオクサーナ・ヴァシーリエヴナ・ダンバーは、トゥヴァ語学(トゥヴァ語動詞の否定形)、  チュルク言語学を専門とし、トゥヴァ国立大学で長く教鞭をとってきた経験豊かな教師である。研修は全日程、 すべての時間を通じてダンバーと日本人講師とがペアを組んで担当した。

文化講演講師
 等々力政彦(トゥヴァ民族音楽演奏家・研究家)

3. 教材
 従来わが国において、トゥヴァ語を日本語で直接学習できる体系的な教材は、殆ど整備されてこなかった。 この方面に関わる者として、その不足をつとに感じてきた本研修講師陣は、この状況を打破すべく、この機を好機と見て、 精力的に教材作成に取り組むこととした。本研修では、教材として、以下の全6冊を鋭意作成した。
#1.『基礎トゥヴァ語文法』(高島尚生著)
 ►トゥヴァ語文法を総合的に解説した文法書。現地で出版された専門書や、昨今の諸論考の成果をもふんだんに盛り込みつつ、 トゥヴァ語を深部まで独学できるよう、詳細な記述に心がけ解説を施した。
#2.『トゥヴァ語教本』(高島尚生著)
 ►常用される必須の文法事項を精選・抽出した上で編纂した学習書。本文の用例と解説を読み、練習問題を解くことにより、 無理なくトゥヴァ語がマスターできるように編んでいる。
#3.『トゥヴァ語会話集』(O.V. DAMBAA、高島尚生著)
 ►自然なトゥヴァ語が学べるよう、ネイティヴ講師が自らの豊かな教学経験に基づき主導的に本文を製作した会話集。 現代トゥヴァ語口語で常用される、即応性の高い表現を効果的にマスターできるよう、良質の用例を精選して作成している。
#4.『トゥヴァ語分類語彙集』(高島尚生、O.V. DAMBAA著)
 ►分野毎に常用単語を配列し、学習者が効果的に語彙を吸収できるように編んだもの。
#5.『トゥヴァ語基礎例文1500』(中嶋善輝著)
 ►トゥヴァ語は名詞類、動詞類、不変化詞類という、3つ形態的特徴をもつ要素のみから構成されているという 学術的観点を貫徹し全用例を配列。例文を1から順に学ぶことで、語彙や文法事項の、反復学習と体系的理解が、 同時に行なえる。
#6.『トゥヴァ語・日本語小辞典』(中嶋善輝著)
 ►ロシア語対訳辞書Тувинско-Русский Словарь (1968) 掲載の語彙を丹念に分析した上で、 「トゥヴァ固有語」の語根を持つ語彙要素をほぼ全て抽出。それらを核に見出し語とした。常用の派生語や従来の辞書に 掲載されてこなかった不規則な活用形や文法解説も、実用の観点から積極的に盛り込み、コンパクトながら汎用性の高い辞書。

4. 受講生
 受講生は4名で、現役の大学(院)生と定年された方であった。そのうち、東京外国語大学からの単位履修生は1名であった。 専門研究の一環としてトゥヴァ語の習得を目指す大学院生を含め、チュルク諸語の学習経験者が3名(AA研のカザフ語、サハ語、 ウイグル語研修の修了者)いた。これら受講生は、最後までひとりも欠けることなく出席し、全員が修了した。

5. 会場
 会場は、大阪大学箕面キャンパスE棟1階の106号室を教室として使用し、隣の107号室を控え室として利用した。 教室は25席ほどが収容できるサイズのもので、ゆったり使うことができた。空調設備も完備されおり、 明るくきれいな教室であった。また、文化講演も同教室で行われた。

6. 授業
 授業は、藤家が2時間、高島が91時間、中嶋が30時間という配分で担当した。その他、等々力氏による文化講演の2時間が加わる。
 本研修はまず、藤家担当の2時間で幕を開けた。1時間目はトゥヴァ語事始めとして、受講生がこれから学ぼうとしている トゥヴァ語が、チュルク諸語内ではどのような位置付けにあるのかを中心に解説した。2時間目ではトゥヴァ語に一歩踏み込み、 トゥヴァ語が特異に有する緊喉母音をはじめとした音声学的特質と、文法的特徴のあらましを、ネイティヴ講師ダンバーの発音を 交えながら講義を行ない、本研修の導入とした。
 以降は、高島が朝の授業と午後の前半の授業を担当。中嶋が午後の後半の1時間ないし2時間の授業を担当する形で、 日々の研修が進行される。
 高島の授業は主に、教科書として作成した『トゥヴァ語教本』をもとに進めていった。まず、文字と発音に関しては、 チュルク諸語の学習経験者が3名いたこともあり、それほど時間もかからずに課へと進むことができた。 キリル文字を知らなかった1名の受講生も、早くに文字と発音をマスターするに至ったので、スムーズな授業運びをすることができた。
 『トゥヴァ語教本』は、とくに「話す」ことができるようになることに主眼をおいて作成した。 日本人講師による文法事項の説明と、その「口慣らし」練習、日本語からトゥヴァ語にする作業、そしてネイティヴ講師 ダンバーとのやりとりが、授業の中心であった。とくに職業や年齢表現、時間、価格を尋ねるなど、 日常会話でよく使うテーマをできるだけ多く組み込み、授業を進めるように努めた。練習では、受講生が2人ずつペアになって、 お互い尋ね合う練習を、繰り返し行った。さらに、ネイティヴ講師ダンバーが、本国より特に持参した写真や絵カードを、 ふんだんに使うなどしながら、積極的に受講生に質問し答えさせる授業を行なった。写真や絵の新鮮さに受講生は、 ネイティヴの発音をより多く聞き、より多く話す機会が増えたことで、一層集中力が高まり、効果的な学習ができたと言える。
研修の半ばから、朝1時間目の授業は、前日に習った文法事項を盛り込みながら、講師ダンバーが、 前日の出来事などを話したり、受講生に質問したり、受講生が話したりするのが、授業開始の習慣となった。 この時間は、教科書に載っていない語彙を吸収し、会話能力を向上させる、よい機会となった。はじめの内は、 トゥヴァ語独特の発音や、話すことに逡巡気味であった受講生たちも、しだいに打ち解け合い、 積極的になっていくという効用をもたらした。
 授業が進むにつれて、受講生の間から質問がよく発せられるようになった。それらの質問のいくつかは、 日本人講師やネイティヴ講師ダンバーまでもが、すぐに答えられないような、言語感覚鋭いものもあり、 授業中に講師と受講生とがいっしょに考える光景が、何度も見られた。ダンバーによると、質問のいくつかは、 トゥヴァのトゥヴァ語学の世界でも、まだ研究が進んでいない鋭い文法問題を指摘しているという。
 なお、高島は、担当時間内で『トゥヴァ語教本』の全25課を終えることができた。
 中嶋は、『トゥヴァ語基礎例文1500』をもとに、高島著 #1.『基礎トゥヴァ語文法』の参照ページを随時示しながら、 学習者の便を考慮した授業に心がけた。本研修には、他のチュルク語学習経験者が多く参加していたため、授業の始めではまず、 『トゥヴァ語基礎例文1500』の構成と、これから学習する内容と展望を示す目的で、トゥヴァ語の文法体系を図示した。 特に、多くの言語で動詞類は、とりわけ豊かで複雑な体系を持っている。その習得には一定の労力と忍耐を要するので、 展望なくしては落伍してしまうことも多い。が、従来日本人にはなじみの薄かったトゥヴァという言語も、実は、 一部の研修者にとっては既習のカザフ語やウイグル語などと同様、名詞類の未完了形動詞 (=р) と完了形動詞 (=кан) の対、 不変化詞類の未完了副動詞 (=а) と完了副動詞 (=п) の対、動詞類の過去形 (=ды) と条件形 (=за) が中核をなした、 実に明解な文法体系であることを示し、学習者の不安を取り除いた。本テキストを使った授業は、読解によるその確認と、 反復練習が主眼であった。
 なお、受講生にとって発言しやすく、退屈せぬ楽しい学習環境作りを醸し出したのは、学習項目や日本人講師の意図、 受講生に習得してほしいこと等を、的確に理解していた、ネイティヴ講師ダンバーの、人となりに負うことが大きかったことも、 強調しておく必要があろう。最終日の昼食時には、講師ダンバーがトゥヴァ料理をふるまってくれた。 が、この準備には、前日の夜から受講生も買い物や調理を一緒に行なっている。そして、講師ダンバーの発案により、 トゥヴァ語で独自の修了証を作成し、トゥヴァ料理の席で手渡すという場面もあった。そして受講生側もひそかに図って、 「鶴の恩返し」を、講師陣も驚くほど立派なトゥヴァ語に翻訳し、はるばるトゥヴァ共和国から来訪した講師ダンバーに、 心からの感謝の念をこめて進呈する、というエピソードがあった。こうした一連の出来事は、ひと月あまりの期間を通じて、 共に教え学び合ってきた講師ダンバーと、彼女の熱意ある人柄に共感した受講生との、絆の深まりを、 端的に物語っているものと言えよう。

7. 文化講演
 文化公演は8月20日に行われた。
 大阪府在住の本文化講演講師の等々力氏は、トゥヴァの伝統的歌唱法ホーメイ(喉歌)の日本における第1人者とも 言える専門家である。本講演は、ホーメイの歌唱とトゥヴァの民族楽器の演奏の合い間に、氏の生い立ちにまで遡る運命的な トゥヴァとの出会いの話から始まり、長年にわたって氏が撮影してきた写真の披露と、その旅路での出来事等を紹介しつつ、 トゥヴァやトゥヴァ民族についての興味深い話しを織り混ぜて進行された。とりわけ、まだ調査が十分に行なわれていない 中国新疆ウイグル自治区に住むトゥヴァ人についての貴重な体験談は新鮮であった。 総じて皆受講者は心を魅了され、感慨深く素晴らしい文化講演であったといえる。

8. 研修の成果と課題
 今回の研修では、トゥヴァ語の基本文法の習得、そして日常的な会話表現が自ら口を突いて発信できるレベルに到達するという、 研修の目標をほぼ達成できたと言えよう。上で述べたように、最終日に受講生2名が、日本の民話「鶴の恩返し」を トゥヴァ語で披露してくれた(ネイティヴ講師ダンバーは少しだけ添削しただけだと言っている)。 日本人講師には内緒で訳していたのだが、「鶴の恩返し」のトゥヴァ語を聞いた時の、われわれ日本人講師の驚きといったら 大変なものであった。そのこなれた読みの流暢さには、たった5週間でこのレベルにまで達するものかと、耳を疑うほどであった。 ネイティヴ講師ダンバーは、帰国後、地元の新聞に、日本でのトゥヴァ語研修について、記事を書くと言っていた。その際、 受講生の訳したこの昔話も、必ず掲載すると嬉しそうに話していた。その熱心さと、到達度の高さには、 トゥヴァの人々をも驚くのではなかろうか。
 またその他の重要な成果として、トゥヴァ語を学ぶための本格的な教材が、日本語で初めて本研修を通じて、 それも複数作成されたことである。言語の学習において、たった一つの単語や、文法事項の習得をするにしても、 同じ文章を幾度も読んでいるだけでは不十分である。異なった角度から書かれた、様々なコンテクストの中で、 それらの用例に複数回接し、いかに用いられているかを、丹念に解釈・理解する過程を通じて初めて、 ネイティブが認識しているものに近い、健全な語感が醸成され、記憶に定着し、習得できるというものである。 そのような語感の涵養に当たって、従前の如くロシア語を迂回してではなく、文法構造や発想が非常に近い日本語が、 一定レベルまで直にサポートした教材が、一挙に6冊も上梓されたのである。
 従来、トゥヴァ語を学ぼうと志す日本人にとっては、英語で書かれたTuvan Manual (John R. Krueger, Indiana University, 1977) が割合手に届きやすい存在であった。同書は一見、文法解説と読み物、 語彙索引が一冊にまとめられており、いかにも独学できそうな体裁をしてはいる。しかし実際には、残念なことに、 同書の読み物を読み下すのすら功を奏しない、表層的な事項と語彙しか載っておらず、とても独習向きの内容ではない。 また、トゥヴァ人が自らの著作を、トゥヴァ語でなくロシア語で著すことも普通であり、良質のトゥヴァ語文献自体、 我々には入手しにくい。そういった諸事情も考え合わせれば、今回この研修を通じて、日本語で開設されたトゥヴァ語への 手厚い直行便就航は、実に画期的な成果であり、その意義は極めて高いものと思われる。
 さて、今後の課題としては、この度初級を修了した受講生たち、または、今後トゥヴァ語を学ぶ人々のためには、 更なる教材の充実をはじめ、学習環境を整備していく必要性が挙げられよう。具体的には、今回、教科書類は主に、 初級文法の習得をターゲットに作成したわけだが、今後、不規則活用動詞の体系を網羅的に取りまとめ収録したり、 モーダル助詞の用法を、一層詳細に研究した上で、盛り込まなくてはなるまい。こうして、より高次の知識を学ぶことができる 教材や文法書、講読テキストを中心とした読み物の編纂が、必要と思われる。さらに、辞書類の整備に関して述べるならば、 今回編纂した 『トゥヴァ語・日本語小辞典』をベースに、А-Йの1分冊で出版が止まっている大型辞書 Толковый словарь тувинского языка (Тувинский институт гуманитарных исследований, 2003) と、 その期待される続編の内容や、成果を十分に反映した、一層内容の充実した辞典の編纂が望まれる。

9. おわりに
 トゥヴァ民族は、ながらく遊牧民族騎馬民族であった。そして、仏教文化とシャーマニズムとが混在した、 我々日本人にも通ずる、大変興味深い側面を、数多く持っている。遊牧という、自然と調和した生活様式も、 現代社会を脅かす地球環境問題といった、我々に突きつけられた緊急のテーマに、重要なヒントを示してくれる可能性を、 多分に有していよう。トゥヴァへの魅力は尽きないが、今後、我々がトゥヴァにしっかりと目を向け、そこから学ぶことは、 未来への新しい扉を開くカギの一つになるものと信じて止まない。本研修の成果が、そのような方々への道しるべとなれるのであれば、 それを担当した者として、これに勝る喜びはない。
 なお、本研修を開催するに当たっては、AA研のスタッフの方々には終始、並々ならぬご高配を賜った。  特にここに記して、謹んで敬意と謝意を表すものである。そして、すでに40年余りにわたって継続されてきた本研修が、 今後とも末永く、日本と世界の隅々までをも遍くつなぐ、架け橋たらんことを、衷心より祈念するものである。

トゥヴァ語研修講師一同