概要

■「地図の歴史と中東」

 人はいつから地図を描き始めたのでしょうか?太古の昔から、自分の身の回りの空間を表現するべく、ヒトは何らかの描きつけをしてきたものと考えられます。それが「この大地はどのような形をしているのか」という問題に取り組んで、それを描き出そうとしたとき、人は本格的に地図を作成し始めた、と言えるでしょう。そしてそれは海岸に人が立ち、船をつくって海上に漕ぎ出してからのことに違いありません。

 私たちが今日「中東」と呼んでいる地域は、地図の発達の歴史において重要な位置を占めています。ごく手短かにふりかえってみましょう。

 人類史上、最初に科学的な方法を用いて大地の形を表現したのが、天動説の確立者として知られるプトレマイオスです。ローマ帝国下のエジプトのアレクサンドリアに住んでいた彼は、紀元後2世紀当時の数学・天文学・測量の知識と技術を駆使して、地中海周辺のヨーロッパや北アフリカ、中東、さらにはインド洋にかけての大まかな陸地の形状を描き出しました。



■プトレマイオス地図の写し(15世紀)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:PtolemyWorldMap.jpg

 5世紀にローマ帝国が滅亡すると、西欧ではこうした地理学・天文学的知見は完全に失われてしまい、「T-O図」のような単純化された世界観が幅をきかせました。一方、7世紀以降、イスラーム圏では科学的知識が重んじられ、ローマ帝国の知的遺産が移転されるだけでなく、学術活動が大いに振興されました。9世紀のバグダードではプトレマイオスの著作を初め多くの科学的書物がアラビア語に翻訳され、図書館に集められました。また天文学もいっそう発展し、地中海のみならず紅海、ペルシア湾、インド洋へと広がる海洋はムスリム商人たちのホームグラウンドとなり、天文学的知識が航海術に生かされ、多くの航海指南書や旅行書が記され、地理的知識はより広く、厚く蓄積されたのです。12世紀に北アフリカからシチリア島を股にかけて活躍したムハンマド・アル・イドリースィーは、その学知の頂点に立った人でした。彼が作成した世界地図は、地中海・アフリカから北欧、中央アジア、インド洋、中国までを含むもので、以後3世紀間にわたり基準として参照されました。またイドリースィーは地球の周を約8%の誤差で計算したといわれています。



■15世紀に印刷されたT-O図(上が東)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:T_and_O_map_Guntherus_Ziner_1472.jpg



■12世紀のイドリースィーによる世界地図(上が南)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:TabulaRogeriana.jpg

 イドリースィーを初め、イスラーム圏の人々によって作り上げられた地理学的・天文学的知見がルネサンス期に西欧に移転されたからこそ、15世紀以降の「大航海時代」にヨーロッパ人たちはインド洋から東に、また大西洋を西に向かって知見を広げることができたのです。16世紀から17世紀にかけて、西欧の人々によって世界全図や世界各地の地図が続々と作られました。15世紀半ばにグーテンベルクによって開発された活版印刷技術は、地図の大量生産に結びつき、多くの人々の知見が地図をますます洗練していくこととなりました。  その15世紀半ばに、オスマン朝はコンスタンティノープルを占領して新たな都としました。16世紀前半にはシリアとエジプトに版図を広げて地中海の東半分を我が物とし、16世紀後半には紅海やペルシア湾にも手を広げました。黒海は早くからオスマン朝の押さえるところでしたから、実に巨大な陸域を支配し、広大な海洋を勢力圏とする大帝国となったのです。日の出の勢いだった16世紀前半、オスマン帝国海軍提督ピーリー・レイースは、『海洋の書』を著し、地中海の地理や港湾都市を中心に、航海術について詳述するとともに、その情報を盛り込んだ地図も描きました。それを見ると、当時西欧で作られていた地図よりも「正確さ」において優れていたことがわかります。ほかに南北アメリカ大陸の大西洋岸側が描かれた地図もあります。ただし、オスマン帝国政府はその後ただちに広大な国土を組織的に測量・調査して地図を体系的に作成することはなく、その作業は19世紀にまで持ち越されました。



■16世紀前半のピーリー・レイースによる地中海、ヨーロッパ、北アフリカの地図
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Piri_Reis_map_of_Europe_and_the_Mediterranean_Sea.jpg

 1798年、ナポレオンがエジプトに遠征したとき、およそ200名もの学者を連れて行ったことはよく知られています。そこには測量・地理学者も含まれていて、彼らはエジプト全土にわたる地図を多数作成しました。こうして軍事的な観点から、ヨーロッパ諸国はオスマン帝国各地のより正確な地図を求めるようになったのです。それでも今日シリア、レバノン、パレスチナの海岸線がある東地中海方面に関して、正確な地図・海図が描かれるのは1830年代以降のことでした。

 「古地図が語る空間情報とデジタル化された現代の空間情報」につづく