
▲展示パネル
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アケメネス朝(紀元前550-紀元前330)ペルシャの時代に誕生したアラム文字は、さまざまな言語を表し、またいくつもの文字を生み出しました。サマルカンドを中心としたソグディアナ地方で土着化したアラム文字は「ソグド文字」となり、イラン系のソグド語を表わしました。トルコ系ウイグル人は、ソグド人との交流を通して「草書体ソグド文字」を取り入れ「ウイグル文字」とします。ウイグル語には9種類の母音があり、母音を表記するのに適していないソグド文字で表記するためには、さまざまな工夫がなされました(ちなみに、現在の新疆ウイグル自治区ではアラビア文字(新ウイグル文字)が使われています)。
チンギス・ハーン以前、文字を持たなかったモンゴル人は、当初ウイグル文字と全く同じ「モンゴル文字」を使用しました。ウイグル文字は同じ文字が異なる発音を持つことがあるため、モンゴル語の表記に最適とはいえません。そこでモンゴル文字を改良したトド文字、チベット文字を利用したパスパ文字などが考案されましたが、主流とはなりませんでした。現在のモンゴル国では1946年以降、キリル文字を改良した「現代モンゴル文字」を使用していますが、中国のモンゴル族は伝統的な文字を使い続けています。
中国東北のツングース系満州族は、モンゴル文字を改良して「満州文字」を製作しました。当初モンゴル文字(無圏点満州文字)をそのまま利用していましたのですが、やはり表音に不都合があったため、モンゴル文字に「圏」や「点」を加えるなどして改良した「有圏点満州文字」を定めました。
清朝が滅ぶとともに満州文字は放棄されましたが、当時の中央から遠く離れた新疆では、満州族の一族である錫伯(シボ)族が言語と文字を伝承しています。これは「シボ文字」と呼ばれます。アラム文字の子孫は中央アジア、モンゴル高原、中国東北を旅して、再び新疆の地で命脈を保ち続けるのです。
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