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■漢字/漢語


▲展示パネル
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 中国東北部のツングース系民族、女真族が使った女真語を表した文字です。契丹文字との関わりが深いため、字形や作成の経緯に似通った部分が多いようです。女真族の国、金(1115-1234年)の太祖完顔阿骨打が完顔希尹に命じてつくらせ、1119年に公布した「女真大字」と、その約20年後につくられた「女真小字」の2つがあります。 女真文字は金の滅亡後も200年ほど使われていましたが、契丹文字同様、資料の量は多いとはいえません。幸い明代に編纂された『女真館訳語』には「女真語・漢語対訳語彙集」といえる部分が存在し、碑文資料とともに研究に利用されています。
 「女真大字」と「女真小字」は、「契丹大・小字」と異なり、文字体系として別々に存在するわけではありません。小字は大字を補う目的で作成されたらしいので、最終的には「大・小字」が混在した文字体系として碑文などに残っています。大字も小字も、表語・表音的単位が完全に明らかになったわけではありませんが、概略は次のように考えられています。大字は明らかに「契丹大字」と相似する字形をもちます。小字は、一種の送り仮名のように表音的な役割があったと考えられています。
●「簡帛」は、簡牘と帛書とを略した呼び方です。●帛書とは帛に書かれた書物を言い、簡牘とはまた竹簡、木簡と木牘の総称です。簡は、比較的細い竹もしくは木の札のこと、牘は簡より幅の大きい札を指します。●簡帛に書かれている文字資料には「古書」と「文書」があります。●「古書」とは先秦時代の書籍で儒家、法家等の著作です。長文が多く、これを収めるための工夫の一つは、細い竹簡を数多く並べ、紐で結んで巻物状にする書物―「冊書」です。  冊書はかさ張り、保管と携帯に不便で、紐が切れることもあります。伝来の古文献において文章の順序が入れ替わり、そのままでは読み通せない場合があります。  多くは、ばらばらになった冊書を整理する時、簡を錯って並べた―「錯簡」に起因します。これを回避するためか、すでに戦国時代に、著作は大きな正方形の帛に書かれました。  一枚で相当な文字数を収められ、その上に絵を描くことも可能でしたが、極めて高価であることが難点でした。●「文書」とは行政文書です。現在発見されている先秦の文書は、すべて簡牘を用いています。●戦国時代に行政制度が長足の発展を遂げる中、様々な新しい制度が発達しました。文書の信憑性を高めるため、冊書に封をする封泥等が発案され、印鑑制度や郵送制度も整備されました。  文書の整理に欠かせない年月日の記述にも多くの工夫がなされ、この時期様々な記年法、記月法が交錯しました。中国的中央集権の雛形が形成されるこの時代は、簡牘によって伝えられる文書なくして語りえないのです。



▼これらの簡牘「里耶秦簡」は、2002年に湖南省龍山県里耶で発掘されたものです。約36,000枚の簡牘のおおよその内容は、県官の文書(木當案)です。(図版は『文物』2003年第一期より)
■一〜二行目「四月丙午朔癸丑、遷陵県の守丞色を経て下達された少内の文書は届いた。金布を担当する言が封を開いた。四月癸丑水十一刻の時刻にそれを五守府に下達した。速達で以て少内に報告す」
■一行目「遷陵以郵行」
■二行目「洞庭」「遷陵縣、郵を以て洞庭郡に行る」
■一〜二行目「遷陵縣、三十四年の会計監査を受けた時、弩臂の保有数は百六十九機」
■三行目「弩臂四機を出して、益陽に送った」
■四行目「弩臂三機を出して、臨  に送った」
■五行目「合計七機を出した」
■六行目「八月現在の弩臂保有数は百六十二」