文字は、本来、ある時代の特定の言語を表記するために考案された記号のあつまりです。たとえば、漢字は中国語、ブラーフミー文字はプラークリット(古代インドの言語)、アラビア文字はアラビア語というぐあいです。しかしこれらの文字が故地から遠く伝播し異なる言語を表記する場合、さまざまな問題に直面することになります。それぞれの文字文化圏における、ユニークな受容のしかたを見てみましょう。
アラビア系文字
アラビア系文字文化圏は、イスラーム教の伝播とともに広がった文字文化圏です。「アラビア文字で書かれたアラビア語のコーランのみがコーランである」という考えで明らかなように、イスラーム教とアラビア文字とは密接な関係があります。この文字は、伝播した先の新しい言語の音声を表記するために、基本アラビア文字に特定の符号を加えた文字を追加していきます。たとえば、イランのペルシャ語で4文字、パーキスターンのウルドゥー語でさらに3文字という具合に、伝播していく過程で、新たな文字が追加され拡張していきました。宗教上の規範が重んじられたのと同様、アラビア文字にも字体・字形の規範が重要視され、美しいアラビア文字書道が発達しました。
 インド系文字
漢字やアラビア文字のように強い政治的・宗教的な動機を背景とした伝播と異なり、インド系文字は、自由な経済活動を担った商人たちが行き来した海の道・陸の道を経由してひろがっていったと考えられます。これは文字通り「文字の旅」でした。そしてブラーフミー文字は、文字の規範としてではなく、合理的かつ実用的な文字体系としてアジアの各地で受け入れられ、必要に応じて独自の工夫がされました。そして王朝の興亡とともに、緩急さまざまな速度で、また思い思いの方向に、字体・字形は変り続けました。インド系文字の現在の多様性はこの結果です。見た目の形はずいぶん変わりましたが、子音字「カ」の上下左右に一定の母音記号をつけることで「キクケコ」をあらわすブラーフミー文字以来の基本的なしくみは、すべてのインド系文字で保たれています。なお、規範よりも自由と合理性の精神を背景に伝播したインド系文字には、その代償として、書道がほとんど発達しませんでした。
 漢字
漢字文化圏がひろがった背景には、周辺諸国の、中国の整備された政治制度の移入という政治的要求や成熟した文化への強いあこがれがありました。そしてその媒介となった文字、漢字に対しては、文字の規範としての意識がたえず強く働きました。字体・字形の規範があってはじめて成立する書道の発達も、この文字文化圏の特徴です。日本での漢字の受容は、漢字の読み(音読み、訓読み)を工夫することで対応しました。後に、漢字の部分から作られた日本独自のかな文字を混在させた漢字かな混じり文は、日本語の柔軟な表記を可能にしました。