アジア・アフリカ言語文化研究所所蔵品
A04
『タングートあるいはチベットの文字』
と題されたチベット文字の教本
(ローマ Propaganda Fide, 1773年刊)
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これは、カトリックの宣教師たちのために書かれたチベット文字の教則本です。

インドで伝道活動をおこなっていたカトリックの教団は、17世紀になるとチベットにも足を踏み入れます。まずラダックを経由して西チベットに至ったイエズス会の宣教師アンドラーデが伝道活動を試みました。また、ブータン経由でチベットのシガツェに入ったイエズス会の宣教師たちもいました。1707年になると、いよいよ政治と宗教の中心であるラサでも布教活動がはじまります。最初にラサに入ったのはカプチン会の宣教師でした。1716年にはイエズス会のデシデリもラサで活動を開始しました。彼は短期間の間にキリスト教の綱要書が書けるほどまでチベット語を習得し、さらにチベット仏教も学んだうえで、仏教教義に対する反論をチベット語で展開したりもしました。しかし熱心な布教活動もむなしく、ほんのわずかのチベット人がキリスト教に改宗しただけでした。1745年にはすべての宣教師が去り、礼拝堂も取り壊されました。

その十数年後、イタリアのローマでは二冊のチベット文字解説書が出版されました。一つは1759年に第一巻、1762年に第二巻が出版された大部な著作『チベットの文字 伝道者たちの便宜の版』であり、もう一つがここに展示した『タングートあるいはチベットの文字』です。これらはいずれも金属活字で活版印刷されたものです。チベット文字の活字はお世辞にも美しいとは言えませんが、チベット文字がはじめて金属活字で印刷された歴史的なものと言えます。

説明はすべてラテン語で書かれ、母音、単子音、子音と母音の結合、結合子音、数字といった具合に章立てされてチベット文字の体系が詳しく説明されています。最後に教会の日常儀礼に必要な「主の祈り」などがラテン語とチベット語の対訳で載っています。A02と同じPropaganda Fide の出版物です。版型もほぼ同じで、シリーズで出版されたものでしょう。

ちなみに、このころチベットでは、木版印刷がたいへん盛んになり、大僧院では仏教経典が次々と印刷されていた時期でもあります。チベットでは木版印刷の時代が長く続き、活版印刷が導入されるのは20世紀の半ばになってからのことでした。

参考文献:

  1. イッポリト・デシデリ原著、フィリッポ・デ・フィリッピ編、薬師義美訳『チベットの報告』1・2(東洋文庫) 平凡社
  2. スネルグローヴ/リチャードソン著、奥山直司訳『チベット文化史』 春秋社
  3. 山口瑞鳳著『チベット』上・下 東京大学出版会

(星 泉)