アジア・アフリカ言語文化研究所所蔵品
A02
『マラバル・グランタあるいはサンスクリット文字』
と題されたマラヤーラム文字の教本
(ローマ Propaganda Fide, 1772年刊)
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これは、カトリックの宣教師たちのためのマラヤーラム文字の教則本です。

ポルトガル人がインド西海岸のゴアを1510年に占領してからイギリスによる本格的な植民地支配までの間の時期においては、カトリック教会によるインド人への布教の試みが続けられました。アラビア海をわたって西からの船が最初に到着する地方であるマラバル海岸地方(現在のケーララ州)はそうした試みが多くなされたところです。

この地方のマラヤーラム文字はグランタ文字の強い影響下で作り出された文字で、本来のマラヤーラム語では不必要なサンスクリット語起源の雅語を表記することができるようになっています。そうした事情から上にあげたような表題がつけられています。

説明はすべてラテン語で書かれ、母音、単子音、子音と母音の結合、結合子音、数字といった具合に章立てされて非常に詳しくマラヤーラム文字の体系が説明されています。最後に教会の日常儀礼に必要な「主の祈り」などがラテン語とマラヤーラム語の対訳で載っています。

Propaganda Fide (Congregatio de) は、「プロパガンダ」という言葉の元になった組織で、ローマ教皇庁の「信仰を広める」委員会です。司教たちからなるこうした組織は国で言うなら「省」にあたり、新しい地での教会の設立などにかかわる広範な権力を持つもので、布教にかかわる出版なども行っていました。1632年に日本語文法と辞書を出したりもしていますが、1770年頃から本書のほかにも多数のインドなどの文字の教本を出版しています。ボドニ体の活字で有名なジャンバッティスタ・ボドニも1758年から1768年にはPropaganda Fideの印刷局で文選工をしていました。

(高島 淳)