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『中国新聞』2004年5月14日より転載

中国新聞記事
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痛み普遍化 連帯を

内戦で20万人犠牲 グアテマラの写真家エルナンデスさん

1960年から36年間に及ぶ内戦で20万人を超える犠牲者を出した中米・グアテマラ。悲惨な記憶を刻む地に生まれた写真家のダニエル・エルナンデス・サラサールさんは、写真表現を通し「罪を許すな」と訴え続けてきた。このほど初来日。「ともに民間人が犠牲になった地で、痛みの経験を普遍化する『回路』を見つけたい」と広島市でインスタレーション(空間構成)を行った。【守田靖】
[写真キャプション:ポスター写真「ある天使の記憶」を地面に置き、広島の風景を撮影するエルナンデスさん(広島市現代美術館)]

虐殺の罪追及 広島で訴え

「天使」を持参
  ゴールデンウイーク明け。原爆で壊滅した市内を一望する広島市南区の市現代美術館の正面玄関前でインスタレーションは始まった。母国から持参した、天使像をイメージした男を写した「ある天使の記憶」。縦1.6メートル、横2メートルのポスターを地面に置く。何度も位置を決め直す。ポスターの対角線が原爆ドームへ至る直線上にくるとピタリと止めた。「このポイントがもっとも強く痛みや喪失にアクセスできる」と語り、シャッターを切る。原爆ドームや原爆資料館、旧陸軍被服支廠も回り、天使像が見つめる広島を撮り続けた。
  エルナンデスさんは56年、グアテマラ市生まれ。元ロイター通信とAP通信のカメラマン。写真家として独立後は母国で、政府軍に虐殺され、埋められた人骨の発掘を記録してきた。

消えない恐怖
  天使像はその過程で生み出された。こちらを向き、大声で叫ぶ若い男。背中から生える羽根は、殺された人間の肩甲骨である。この天使以外にも、自ら口を閉ざし、目を閉じ、耳をふさいだ天使を登場させてきた。
  一部の大地主と米国系企業による土地の寡占支配への抵抗から始まった内戦。左翼ゲリラと政府軍の武力闘争の形をとりながら、実態は、軍によるマヤ系少数民族の大量虐殺を招いた。96年の内戦終結後も、消えない政府軍への恐怖から、虐殺の罪を問わず、記憶を消そうとする母国民。その姿に異を唱えようとしたのが始まりだった。
  98年に、内戦期の人権侵害を調査していたカトリック教会・大司教区人権オフィス代表のヘラルディ司教が暗殺されて以後は、政府への抵抗姿勢を鮮明にした。「すべての人に知らしめよ」と訴える天使像のポスターを政府機関や街頭にゲリラ的に張り出し、アピールしてきた。ポスターが数時間ではがされると、それも「失われた天使」として撮影。芸術が社会とどうかかわれるのか―を探り続けてきた。

「悪用許すな」
  立教大学法学部の飯島みどり助教授(ラテンアメリカ近現代史)らが、エルナンデスさんの活動を日本に紹介しようと招いた。来日を記念し、写真集「グアテマラ ある天使の記憶」(影書房)もこのほど出版された。
  広島訪問は本人の強い要望だった。同市中区の広島平和研究所でも講演し、「不正によって人が殺された国に育ち『死』を通じてヒロシマの存在を子供の頃から感じていた」と語った。
  「歴史的記憶にふたをせず、ヒロシマで何が起きたのかを見極め続けてほしい」と訴えるエルナンデスさん。会場から、原爆投下を正当化する解釈が米国内にある点を聞かれ「たとえ日本の軍人が戦争を起こしたとしても傷ついたのは民間人。正当化など出来ない」と主張。「民衆が黙っていると政府はその記憶までも悪用する。政府に賛同できないと主張し続けることが大切」と述べた。
  広島での体験は「簡単にはまとめられない」と語り、帰国後、作品化する予定。「保護すべき国民を殺した政府の罪はグアテマラと日本に共通する。グアテマラの痛みの経験を、何かの回路を通して普遍化し、広島につなげられるよう模索し続けたい」と話した。

 

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