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2009(平成21)年度 教育セミナー報告

帯谷 知可(京都大学地域研究統合情報センター)

  フジュムの頃―ソ連体制下の中央アジア女性解放運動と現代―

 このセミナーでは、旧ソ連中央アジアで1920年代後半から展開された女性解放運動をテーマとして、社会主義体制下における上からの「近代化」の諸相と、ソ連解体と独立を経たウズベキスタンにおける再評価の動向について話題提供した。

 この女性解放運動はフジュムhujum(攻撃)と呼ばれ、中央アジアでソヴィエト政権が安定化した1920年代半ば、あらゆる悪しき前近代的慣習に攻撃をしかけ一掃するというキャンペーンの主軸であった。ソヴィエト政権は社会主義のもとでの男女平等、女性の社会経済活動参加を旗印に掲げつつ、女性労働力の確保と、中央アジアのイスラームからの「解放」を狙ってもいた。ここでは当時の定住民女性が外出時に着用したパランジparanji(いわゆる「ヴェール」に相当するが、実際には分厚いコートをすっぽりと頭からかぶるような形になる)が「前近代」の象徴となり、1927年にはこれを女性らが広場などにおいて自ら脱いで燃やすというパフォーマンスを伴うパランジ根絶キャンペーンが大々的に展開された。保守層の住民(特に男性)から猛反発が生じ、パランジを棄てたが故に親族の暴力の犠牲になる女性が続出するなどの事態に突き当たりながら、共産党主導の活動が続けられ、第二次世界大戦後にはおおむねパランジは姿を消したと言われている。フジュムは、ソ連初期の女性解放運動として多大な困難を伴ってその目的が達成されたとされ、以後、女性解放運動の成果は、女性の社会進出や識字率の向上を示す数字によって誇示されてきた。

 独立後のウズベキスタンでは、新たなナショナリズムのもとでの民族文化・伝統の見直しと、イスラーム復興の影響によって、フジュム再評価は微妙なものを含む。中には女性解放論自体をソ連時代の悪しき遺産とするような極論もあるが、知識人層においても、ソ連時代の女性解放の成果をある程度認めつつも、それがロシア人主導による強制であったこと、現地女性の血の犠牲を伴うものであったことに対する反発は強い。一方で、今日あらためて「ヴェール」を着用する女性の増加という現実もある。

 ソ連時代に社会の「近代化」のために遂行された諸事業は、ある意味でおしなべて脱イスラーム化の意味を持ったといえる。近代化の課程でイスラームは「公」の場からは排除されていたに等しい。それだけに、女性解放をも含む「近代化」に関連する問題には、ソ連解体と独立によって中央アジアがイスラームを自らの手に取り戻した現在、あらためてアクチュアルな意味を持つものが多いのである。

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